【前書き】
「日本の災害・防災年表」は、「周年災害」でご紹介した日本人が被災した災害や特異な災害、または政策・法令を変えた災害及び防災対策などを、次の7種・12表の災害分類にまとめています。
・気象災害(中世・江戸時代編)
掲載基準は、原則として死亡者+行方不明者100人以上(海外での日本人死亡者10人以上)、死傷者、感染患者1000人以上、全壊・焼失・流失家屋(住家)1000棟(軒)または1000世帯(かまど、戸)以上、床上浸水家屋(住家)5000棟(軒)または5000世帯(かまど、戸)以上などの大災害を選び出して掲載。
1. 災害・防災年表各編内の災害・防災対策をクリックすると掲載月の記事にリンク全文が読めます。
2.本文中の年月日は太陽暦(グレゴリオ暦)かっこ内年月日は太陰暦=その時代の年号と暦日です。
なお、太陽暦の使用開始は1872年(明治5年)12月3日からで、この日が明治6年1月1日です。
3. 年号の適用は、明治改元の時に定められた「改元の年の1月1日にさかのぼり適用する」ことは せず、改元の前日までは前年の元号です。
4.災害名は混在しないよう通称または気象庁及び中央防災会議での公認名称のない場合は、火山噴火と火災の場合を除き、原則として元号(年)+被災地+災害名です。
5.災害名は、表現の統一及び類似のものと年表上差別化が必要なため、年表上とリンク先の掲載当時の見出しの名称とが若干異なることがあります。
当年表は2005年4月~2021年、2022年4月の「周年災害」及び「周年災害・追補版」の掲載記事より作成されています。
災害名等にポインターを当てクリックすると掲載ページ(各月)にリンクし、全文が読めます。
○古代から安土・桃山時代まで(~1600年)
・伝・仁徳天皇、難波の堀江と茨田(まんだ)の堤を築き、洪水を防ぎ大農地と良港を得る
……… 323年11月(仁徳11年10月)
・推古34年、異常気象続き大飢饉起こる-推古天皇、遺詔で簡単な葬儀指示
……… 626年4月~8月(推古34年3月~7月)
・白雉3年難波の大洪水 ……… 652年5月27日~6月3日(白雉3年4月20日~28日)
・第二次遣唐使船第2船、薩摩沖で遭難 ……… 653年8月(白雉4年7月)
・大宝令完成し公布、天皇中心の中央集権国家体制が法的に整備される
……… 700年4月18日(文武4年3月21日)
・大宝律完成、わが国初の刑法典なる ……… 701年9月13日(大宝元年8月3日)
・西国から東海、北陸17か国、台風と蝗害で農作物全滅
……… 701年10月1日(大宝元年8月21日)
・天平勝宝5年摂津国御津村高潮被害-台風被害の摂津国及び西海道諸国被災地の税を免除
……… 753年10月9日(天平勝宝5年9月5日)
・藤原仲麻呂、飢饉対策として米価を調節する常平倉を設ける-後世実施され高い評価が
……… 759年6月12日(天平宝字3年5月9日)
・下総国、毛野川(鬼怒川)の新河道の開削の陳情ふたたび、ついに治水工事始まる
……… 768年10月8日(神護景雲2年8月19日)
・太政官、長年の干ばつや台風などの気象災害によって米価高騰し常平法(倉)制定
……… 773年4月14日(宝亀4年3月14日)
・宝亀6年東海風水害 ……… 775年9月25日(宝亀6年8月22日)
・弘仁8年畿内暴風雨、大坂湾最奥部に高潮「摂津大風」
……… 817年9月5日(弘仁8年7月17日)
・嘉祥元年畿内暴風雨、淀川流域大洪水 ……… 848年9月9日(嘉祥元年8月5日)
・朝廷、度重なる災害による社会不安を一層するため独経祈願行う、崇神天皇治世伝説が起源か
……… 856年6月18日(斉衡3年5月9日)
・天安2年梅雨前線豪雨、京都大洪水 ……… 858年7月2日~10日(天安2年5月14日~22日)
・貞観2年京師・近畿の地、台風の襲来で高潮と洪水の災い
……… 860年10月6日~7日(貞観2年9月14日~15日)
・貞観13年平安京大洪水 ……… 871年10月2日(貞観13年閏8月11日)
・貞観16年京都暴風雨、大洪水 ……… 874年10月12日(貞観16年8月24日)
・仁和地震で千曲川に発生した天然ダム(せき止め湖)崩壊し大はん濫「仁和の洪水」
-近年解明された巨大地震を一次原因とする巨大洪水 ……… 888年6月24日(仁和4年5月8日)
・延喜18年京洛暴風雨、淀川水系氾らん
……… 918年9月28日~29日(延喜18年8月16日~17日)
・延喜から延長へ改元、干ばつと疫疾による ……… 923年6月3日(延喜23年閏4月11日)
・太政官、盗賊横行に対し京都市中の辻々に“道守屋”設置命じる-交番の発祥
……… 925年6月28日(延長3年5月30日)
・清涼殿落雷惨事-道真の怨霊か? ……… 930年7月29日(延長8年6月26日)
・天慶元年京都鴨川の洪水、防鴨河使(ぼうかし)復活 ……… 938年7月24日(天慶元年6月20日)
・天慶7年大暴風雨、諸司官舎多く倒潰、信濃国司も圧死
……… 944年9月26日(天慶7年9月2日)
・天暦から天徳へ改元、干ばつによる ……… 957年11月26日(天暦11年10月27日)
・応和2年の近畿大風雨 ……… 962年10月6日(応和2年8月30日)
・康保3年桂川決壊、平安京西南部大洪水 ……… 966年10月9日(康保3年閏8月18日)
・天禄から天延へ改元、大暴風雨と薬師寺、北野天満宮の焼失による天変?
……… 974年1月21日(天禄4年12月20日)
・天元から永観へ改元、炎旱と再建1年後の内裏また火災
……… 983年6月3日(天元6年4月15日)
・永祚元年畿内大暴風雨「永祚の風」平安朝期最大の巨大台風、天下大災、古今無比
……… 989年9月20日(永祚元年8月13日)
・永祚から正暦へ改元、「永祚の風」による ……… 990年12月1日(永祚2年11月7日)
・長徳から長保へ改元。はしか歴史上初めての大流行、藤原摂関政治の終焉のきっかけに、水害も
……… 999年2月6日(長徳5年1月13日)
・長保2年鴨川堤防決壊し京市中大洪水、左大臣藤原道長邸の庭、庭やら池やら
……… 1000年9月22日(長保2年8月16日)
・寛仁元年鴨川洪水、福祉救護施設・東悲田院流失 ……… 1017年8月2日(寛仁元年7月2日)
・長元元年近畿暴風雨、京市中家屋倒潰、鴨川沿岸が海に
……… 1028年9月28日(長元元年9月3日)
・長元7年京都暴風雨、内裏、大内裏殿舎の倒潰相次ぐ、京都市中から近郊も大被害に
……… 1034年9月29日~10月1日(長元7年8月8日~10日)
・長久から寛徳へ改元、感染症の大流行と干ばつ ……… 1044年12月22日(長久5年11月24日)
・康平から治暦へ改元、三合の厄と干ばつ ……… 1065年9月10日(康平8年8月2日)
・承保から承暦へ改元、白河天皇、悲嘆・痛恨の改元
……… 1077年12月11日(承保4年11月17日)
・永長から承徳へ、叡山の強訴に天変地異重なり時代は騒然、たった1年で改元
……… 1098年1月2日(永長2年11月21日)
・永久から元永へ改元、国の生産高半ばの耕地を失う大洪水と干ばつと
……… 1118年5月2日(永久6年4月3日)
・元永から保安へ改元、悲運・鳥羽天皇、異常気象続き在位4回目の災異改元で御謹慎
……… 1120年5月16日(元永3年4月10日)
・大治から天承へ改元。去夏以来、炎旱殊甚による凶作を避ける
……… 1131年3月7日(大治6年1月29日)
・長承3年京都、鴨川、桂川氾らん、近代未曾有の洪水
……… 1134年6月28日(長承3年5月17日)
・長承から保延へ改元、インフルエンザと飢饉と ……… 1135年5月17日(長承4年4月27日)
・久安から仁平へ改元。前年京都を襲った暴風雨被害により年号変える
……… 1151年2月21日(久安7年1月26日)
・嘉応から承安へ改元、異常気象続く ……… 1171年6月3日(嘉応3年4月21日)
・京都「治承の辻風」鴨長明只事ではない災害は神仏からのお告げと武家政権への交代の危ぐ抱く
……… 1180年6月1日(治承4年4月29日)
・養和の大飢饉、鴨長明が記録した惨状-平家遂に滅亡、完全な武士政権(幕府)の時代へ
……… 1180年7月~1182年(治承4年6月~寿永元年)
・養和から寿永へ改元、養和の大飢饉起こるが源氏方改元せず
……… 1182年7月6日(養和2年5月27日)
・建仁元年関東暴風雨、高潮災害 ……… 1201年9月16日、28日(建仁元年8月11日、23日)
・建永から承元へ改元、天然痘の流行と台風災害による
……… 1207年11月23日(建永2年10月25日)
・建暦から建保へ改元、関東地方の災害に朝廷が気を効かして改元?
……… 1214年1月25日(建暦3年12月6日)
・建保から承久へ改元、激しいひでりと鎌倉、京都の火災による
……… 1219年6月3日(建保7年4月12日)
・貞応から元仁へ改元、はじめて関東で雨乞いの伝統儀式“七瀬祓い”行われる
……… 1225年1月7日(貞応3年11月20日)
・安貞2年京都鴨川氾濫、隣国近江でも洪水の危険 ……… 1228年8月28日(安貞2年7月20日)
・安貞から寛喜へ改元、京と鎌倉に暴風被害 ……… 1229年4月7日(安貞3年3月5日)
・幕府異常な寒冷気候に際し大凶作を予測、徳政を行う ……… 1230年8月3日(寛喜2年6月16日)
・寛喜の飢饉、法制度整備も人身売買は黙認 ……… 1231年8月(寛喜3年7月)
・寛喜から貞永へ改元、寛喜の大飢饉による ……… 1232年4月30日(寛喜4年4月2日)
・天福から文暦へ改元、2年続きの京の旱天 ……… 1234年12月5日(天福2年11月5日)
・幕府、京都市中治安維持のため篝屋(かがりや)設置-現在の交番へと続く
……… 1238年8月7日(嘉禎4年6月19日)
・嘉禎から暦仁(りゃくにん)へ改元 、鎌倉で水損、京都で天変、流星空を舞う
……… 1239年1月6日(嘉禎4年11月23日)
・延応から仁治へ改元、鎌倉で異変続く ……… 1240年8月12日(延応2年7月16日)
・幕府、鎌倉市中にも防犯のため篝屋(かがりや)を設置し住民に勤務させる
……… 1241年1月11日(仁治元年11月21日)
・正嘉・正元の飢饉、流民山野をさまよい、小尼死人の肉を食う。日蓮「立正安国論」執筆
……… 1258年7月~1260年(正嘉2年6月~文応元年)
・正嘉2年鎌倉大洪水-正嘉・正元の大飢饉へ……… 1258年11月19日(正嘉2年10月16日)
・幕府、正嘉の大飢饉で流民救済策出す ……… 1259年3月12日(正嘉3年2月10日)
・正嘉から正元へ改元、大飢饉と大地震による-改元頻度が多い鎌倉時代
……… 1259年4月27日(正嘉3年3月26日)
・日蓮、大飢饉に身をもって体験、政治建白書「立正安国論」を北条時頼に上申
……… 1260年8月31日(文応元年7月16日)
・伊豆~相模湾近海大風雨、九州からの年貢運送船など多数遭難
……… 1263年10月7日(弘長3年8月27日)
・元寇・文永の役、炎上する博多の街、モンゴル・高麗連合軍の軍船暴風雨で難破、沈没
……… 1274年11月26日(文永11年10月20日)
・建治から弘安へ改元、飢饉が続き疾病(感染症)流行による
……… 1278年3月30日(建治4年2月29日)
・元寇・弘安の役、台風で元船壊滅 ……… 1281年8月23日(弘安4年閏7月1日)
・乾元から嘉元へ改元、彗星と炎旱(日照り)による ……… 1303年9月24日(乾元2年8月5日)
・元亨4年洛中暴風雨、洪水 ……… 1324年9月13日(元亨4年8月5日)
・康永から貞和へ改元、大雨に止雨祈願 ……… 1345年11月23日(康永4年10月21日)
・康安から貞治に改元、兵革、疫疾、天変、地震による
……… 1362年10月19日(康安2年9月23日)
・貞治から応安へ改元、南北朝動乱と干ばつ。前代未聞、僧兵ども御所内で合戦
……… 1368年3月15日(貞治7年2月18日)
・明徳の飢饉、南北朝時代終わる。大飢饉、天下大いに飢え、時代の変革を明らかに
……… 1390年9月~93年(明徳元年秋~4年)
・全国的大干ばつ、やがて応永の大飢饉へ。戦乱が拍車をかけ、疫病も流行
……… 1420年6月~1422年(応永27年4月~29年)
・応永の大飢饉で幕府施がゆを行う、京の都に“諸国貧民上洛、乞食充満”
……… 1421年3月5日(応永28年1月22日)
・日本開闢(かいびゃく)以来の正長土一揆起こる、最初の大衆蜂起の勝利。
前年から続く長雨、洪水による凶作、飢饉が背景 ……… 1428年11月4日(正長元年9月18日)
・文安から宝徳へ改元。洪水、地震、疫病による ……… 1449年8月25日(文安6年7月28日)
・康正から長禄へ改元、山科家礼記、大乗院寺社雑事記から干ばつを読む
……… 1457年10月25日(康正3年9月28日)
・寛正の大飢饉、幕府無策、後花園天皇、幕府を叱ったが無視され改元で厄払い
……… 1461年2月10日(長禄4年12月21日)
・寛正の飢饉に幕府無策 ……… 1461年3月~4月(寛正2年2月~3月)
・文明7年大阪湾高潮災害 ……… 1475年9月15日(文明7年8月6日)
・文亀-永正の飢饉、干ばつによる飢饉が5年間続き疫病も流行
……… 1501年6月~1505年(文亀元年夏~永正2年)
・永正の飢饉。洪水、早霜、幕府は統治能力なく無策、領主は戦いに明け暮れ
……… 1517年8月~19年(永正14年7月~16年)
・天文4年濃州大洪水、厳助、仁岫宗寿二人の証言 ……… 1535年3月17日(天文4年2月14日)
・天文の大飢饉。幕府無力、管領細川晴元、施餓鬼しか行えず
……… 1540年6月26日(天文9年5月12日)
・天文11年石見銀山大山津波 ……… 1542年9月(天文11年8月)
・天文11年甲州釜無川大水害-信玄堤築堤へ ……… 1542年9月(天文11年8月)
・天文13年近畿、東海風水害 ……… 1544年8月6日~7日(天文13年7月8日~9日)
・弘治3年畿内暴風雨、摂津国沿岸へ高潮襲う ……… 1557年9月28日(弘治3年8月26日)
・天正8年秋。神通、常願寺両川大氾らん-佐々成政、治水事業に全力、佐々提に名を残す
……… 1580年11月初旬(天正8年9月末)
・秀吉、京都に御土居を築き、都を長年の水害から防ぐ ……… 1591年2月(天正19年1月)
・秀吉、巨椋池を干拓し宇治川に太閤堤築く-伏見が交通の要衝として発展
……… 1596年2月14日(文禄5年1月16日)
・文禄5年江戸荒川、隅田川の氾らん ……… 1596年7月14日(文禄5年6月19日)
○江戸時代(1600年~1867年)
・慶長17年東海地方暴風、船三百艘破船 ……… 1612年7月20日(慶長17年6月22日)
・慶長17年9月台風、強風で津山城下、伊賀上野城内で犠牲者出る
……… 1612年9月26日(慶長17年9月2日)
・元和元年、東北地方冷害大飢饉、津軽信枚公御代日記に記す
……… 1615年10月~(元和元年8月~)
・神田山開削工事完成。日比谷入江を埋立て土地を造成、東へ進む外堀・神田川を生み
江戸城南東側の日本橋低地を水害から守る ……… 1620年12月18日(元和6年11月25日)
・元和7年伊豆、房総半島沖船舶集団遭難-春の嵐か ……… 1621年4月28日(元和7年3月7日)
・寛永元年8月利根川寛永の洪水、古利根川、江戸川氾らん、隅田川以東、海となる
……… 1624年9月(寛永元年8月)
・寛永3年5月から9月の記録的大干ばつで飢饉招く、寛永の大飢饉の走り?
……… 1626年5月~9月(寛永3年4月~8月)
・幕府、江戸に辻番所を設置 ……… 1629年5月(寛永6年3月)
・寛永7年北九州、京都及び越前大風雨、洪水 ……… 1630年7月28日(寛永7年6月19日)
・寛永12年「辛卯の暴風雨」漁船集団、遠州~豆州沖で遭難
……… 1635年7月26日(寛永12年6月13日)
・幕府、海運の発展に対応、浦々高札を建て難破船の処置について布達
……… 1648年(慶安元年)12月
・大坂町奉行所、自身番当番免除及び代理を出す人々を指示、代行の風潮に歯止め期待、
江戸より早い自身番の記録 ……… 1649年1月28日(慶安元年12月16日)
・慶安3年九州大水害、長崎、柳河藩領に被害 ……… 1650年9月11日(慶安3年8月16日)
・慶安3年東海大水害、六十年来未曾有之洪水「寅年の洪水」
……… 1650年9月26日~28日(慶安3年9月1日~9月3日)
・慶安4年江戸湾沿岸部風水害 ……… 1651年11月25日(慶安4年10月13日)
・江戸町奉行、家持町人に自身番所設置を命じる、後の町火消制度の原動力に
……… 1652年1月11日(慶安4年12月1日)
・慶安5年新宮湊停泊中の大型貨物船遭難、洪水で48艘転覆
……… 1652年3月18日(慶安5年2月9日)
・承応2年尾張・伊勢・紀伊風水害 ……… 1653年6月30日~7月1日(承応2年6月6日~7日)
・承応2年西日本暴風雨、肥後、長門、安芸各藩に大被害
……… 1653年9月26日(承応2年8月5日)
・明暦2年「筑前大風」駿河から関東にかけても吹く ……… 1656年10月2日(明暦2年8月15日)
・江戸町奉行、町の治安維持強化のお触れ、自身番への治安分担多く町人の負担増える
……… 1658年8月8日(明暦4年7月10日)
・万治元年洛中近畿水害、宮中にも浸水
……… 1658年8月31日~9月1日(万治元年8月3日~4日)
・幕府、水害防止のため山城、大和、伊賀3か国あて初の治山法令発令
……… 1660年4月23日(万治3年3月14日)
・大坂城煙硝蔵に落雷-城内外大火災、犠牲者120人余
……… 1660年7月25日(万治3年6月18日)
・万治3年京都、伊勢、関東水害、伊勢神宮、日光東照宮門前町などに被害
……… 1660年9月2日~3日(万治3年7月28日~29日)
・万治3年四国から関東にかけて暴風雨、京都で落橋・洪水、東海道沿岸で船舶の遭難相次ぐ
……… 1660年10月24日(万治3年9月20日)
・寛文2年日光山中土砂災害、近畿、東海でも洪水か
……… 1662年7月23日~28日(寛文2年6月8日~13日)
・幕府、辻番所制規を示達 ……… 1663年4月(寛文3年3月)
・幕府、諸国山川掟発令、淀川水系の水害防止目標 ……… 1666年3月7日(寛文6年2月2日)
・寛文6年7月台風、北九州、四国に被害 ……… 1666年8月3日~5日(寛文6年7月3日~5日)
・寛文6年出雲富田(とだ)水没、砂鉄の採取で川床上昇。新藩主川向こうに新町建設
……… 1666年9月2日(寛文6年8月4日)
・幕府、難破船に対する浦方条目(浦高札)定める-灯台建設も計画
……… 1667年4月11日(寛文7年閏2月18日)
・寛文9年出雲、近江、加賀、能登、越中大風雨、洪水、佐渡金山も大被害
……… 1669年7月14日~20日(寛文9年6月17日~23日
・寛文9年北九州暴風雨、各藩領内の住家、田畑に大損害与える
……… 1669年9月3日~7日(寛文9年8月8日~12日)
・寛文10年近畿地方大風雨・高潮災害。明石、大坂、枚方に被害集中
……… 1670年10月5日~6日(寛文10年8月22日~23日)
・寛文13年西日本梅雨前線豪雨、草戸千軒町水没
……… 1673年6月26日~29日(寛文13年5月12日~15日)
・停滞した前線と台風により西国を中心に大水害“死人巷に満ちたり”延宝の第一次飢饉招く
……… 1674年4月~9月(延宝2年3月~8月)
・延宝の第一次飢饉、飢民は非人となるか餓死か ……… 1674年7月~1675年(延宝2年夏~3年)
・延宝2年8月天竜川「寅の満水」百年来無類の出水、浜松城下7日間冠水
……… 1674年9月7日~10日(延宝2年8月8日~11日)
・延宝4年梅雨前線豪雨、安芸、畿内、洛中大洪水
……… 1678年9月19日~21日(延宝6年8月4日~6日)
・延宝8年閏8月台風、東海道筋、江戸、強風と高潮に襲われる
……… 1680年9月27日~28日(延宝8年閏8月5日~6日)
・延宝の第二次飢饉、米価急騰。磔茂左衛門など農民運動のエピソード残す
……… 1681年春(延宝9年春)~1682年(天和2年)
・幕府、辻番規定を改定し衛生管理も職務に-明治時代の防疫活動へ継承
……… 1683年3月27日(天和3年2月29日)
・河村瑞賢、淀川治水完成-商都大阪へ発展 ……… 1687年6月(貞享4年5月)
・元禄8~9年奥州大飢饉、津軽藩で家臣の約半数強を召し放ち(解雇)
……… 1695年8月下旬~1696年(元禄8年7月中旬~9年)
・元禄9年磐城小名浜(現・いわき市)謎の高潮被害、船頭、漁師など2450人余が犠牲に
……… 1696年7月25日(元禄9年6月27日)
・元禄12年8月台風、北九州、東海、北陸、関東、東北各地に被害、江戸米不足で物価騰貴
……… 1699年9月6日~8日(元禄12年8月13日~15日)
・元禄14年夏、京都大雷雨 ……… 1701年7月24日~25日(元禄14年6月19日~20日)
・元禄14年東海・東日本風水害-冬、元禄の飢饉へ
……… 1701年9月18日~21日(元禄14年8月16日~19日)
・元禄15年7月末台風、四国、中国地方中心に被害
……… 1702年8月21日~22日(元禄15年7月28日~29日)
・元禄15年8月末の台風、北九州・中国地方を席巻、筑前で50年来の大風雨
……… 1702年9月20日~21日(元禄15年8月29日~30日)
・朝鮮国訳官使、対馬へ渡航中、鰐浦沖で遭難 ……… 1703年3月21日(元禄16年2月5日)
・宝永元年江戸川決壊、江戸東部、下総洪水 ……… 1704年8月3日~4日(宝永元年7月3日~4日)
・宝永5年筑後川大洪水、久留米藩農地の6割~8割が荒廃する大被害
……… 1708年5月22日(宝永5年4月3日)
・富士山宝永噴火二次災害、酒匂川河床火山灰で上がり足柄平野大洪水
……… 1713年7月27日~29日(正徳3年6月6日~8日)
・正徳5年天竜川、二大氾濫の一つ「未の満水」
……… 1715年7月17日~24日(正徳5年6月17日~24日)
・享保2年8月台風、京都、美濃、東海道筋、江戸、奥羽諸国に被害
……… 1717年9月19日~22日(享保2年8月15日~18日)
・享保6年閏7月秋雨前線+台風 ……… 1721年9月5日~11日(享保6年閏7月14日~20日)
・享保7年6月末台風、伊予松山などに被害
……… 1722年8月4日~10日(享保7年6月23日~29日)
・享保7年8月の台風、熱田で高潮発生 ……… 1722年9月24日(享保7年8月14日)
・享保8年関東暴風雨、五十里せき止め湖崩壊「五十里洪水」
……… 1723年9月7日~11日(享保8年8月8日~10日)
・享保13年北上川大洪水「白髭洪水」盛岡、仙台両藩表高約4割が被害に
……… 1728年8月30日~9月1日(享保13年7月25日~27日)
・享保13年秋雨前線豪雨、江戸大洪水、関東、東北諸国も大被害
……… 1728年10月2日~5日(享保13年8月29日~9月3日)
・幕府、一般庶民向けの家庭用救急医療書を出版、無医村対策の面も
……… 1730年4月3日(享保15年2月16日)
・ウンカ大発生し享保の飢饉-江戸で初の打ち壊しとサツマイモ登場
……… 1732年8月上旬(享保17年6月中旬)
・幕府「仁風一覧」大坂で出版させる-後世、飢饉後の篤志家名簿出版続く
……… 1734年6月(享保19年5月)
・享保20年若狭、丹波、山城、摂津、河内など各地で豪雨大洪水
……… 1735年8月9日(享保20年6月21日)
・元文4年出雲、隠岐地方に局所的集中豪雨で風水害
……… 1739年8月9日~10日(元文4年7月5日~6日)
・元文5年、京都・畿内集中豪雨で大洪水「御所流れ」
……… 1740年9月6日~7日(元文5年閏7月16日~17日)
・寛保2年大型台風による豪雨「千曲川戌(いぬ)の満水、寛保の関東大洪水(江戸三大水害)」
……… 1742年8月27日~9月6日(寛保2年7月27日~8月8日)
・幕府、増水時の両国橋橋脚保護方法を公募 ……… 1742年11月(寛保2年10月)
・寛保3年8月台風、筑後久留米藩領など北九州、中国・四国西部席巻
……… 1743年9月30日(寛保3年8月13日)
・延享元年8月台風、日本各地を襲い大傷をのこし縦断して去る
……… 1744年9月14日~18日(延享元年8月8日~12日)
・延享3年長門国風水害、表高の8割損耗 ……… 1746年9月27日(延享3年8月13日)
・寛延元年9月風台風、九州、四国、中国地方に暴風、高潮
……… 1748年9月24日~25日(寛延元年9月2日~3日)
・寛延2年、播磨国中心に中国地方・畿内風水害 ……… 1749年8月14日(寛延2年7月2日)
・薩摩藩、木曽川宝暦治水完成させる。総奉行・平田靱負自刃
……… 1755年7月1日(宝暦5年5月22日)
・宝暦5年球磨川の洪水、せき止め湖決壊し八代大水害「瀬戸石崩れ(くえ)」
……… 1755年7月17日(宝暦5年6月9日)
・宝暦の大飢饉、東北冷害で大凶作となり米価高騰
……… 1755年7月下旬~56年5月(宝暦5年6月中旬~6年4月)
・宝暦6年畿内暴風雨、淀川、紀ノ川氾濫
……… 1756年10月9日~10日(宝暦6年9月16日~17日)
・宝暦7年梅雨前線豪雨、東海、甲信越、関東で水害、信濃川横田切れ-大河津分水建設を嘆願
……… 1757年6月~7月(宝暦7年5月~6月)
・宝暦7年7月台風、紀州、四国、中国が暴風雨、高潮で被害に
……… 1757年9月8日~9日(宝暦7年7月25日~26日)
・庄内藩、砂防林計画を本間家に許可-酒田港の繁栄を支える
……… 1758年4月13日(宝暦8年3月16日)
・明和2年北九州、四国、東海、関東暴風雨
……… 1765年9月16日~17日(明和2年8月2日~3日)
・明和4年尾張の大洪水「明和の洪水」 ……… 1767年8月4日~6日(明和4年7月10日~12日)
・明和の大干ばつ-農作物凶作と水不足で年貢減免一揆起き、幕府緊縮予算に追い込まれる
……… 1770年6月~9月(明和7年6月~8月)
・安永3年近畿地方暴風雨、高潮 ……… 1774年7月31日(安永3年6月23日)
・安永7年京都一円豪雨・洪水、比叡山がけ崩れ
……… 1778年7月24日~25日(安永7年7月1日~2日)
・安永7年安芸国暴風雨、広島藩表高の約5割を失う
……… 1778年11月28日~29日(安永7年10月10日~11日)
・安永8年東海地方を中心に関東、東北で暴風雨・洪水-尾張庄内川天明の治水へ
……… 1779年10月3日~4日(安永8年8月24日~25日)
・安永9年関東平野大洪水。農民も町民も“みな袖乞に出る身なれば”
……… 1780年7月9日~29日(安永9年6月8日~28日)
・天明の飢饉-田沼意次政権の崩壊へ ……… 1783年10月(天明3年9月)
・天明6年関東大洪水(江戸三大水害)で印旛沼、手賀沼干拓工事壊滅-田沼意次政権崩壊へ
……… 1786年8月5日~11日(天明6年7月12日~18日)
・寛政元年梅雨前線豪雨、中九州、近畿、北陸、信遠で大洪水、天竜川「酉の満水」
……… 1789年7月3日~13日(寛政元年6月11日~21日)
・寛政2年天竜川氾濫。藩領内に多大な被害、浜松城をはじめ城下も
……… 1790年10月26日(寛政2年9月19日)
・寛政3年関東風水害 ……… 1791年9月2日~3日(寛政3年8月5日~6日)
・寛政3年8月台風、四国から近畿、東海、北陸縦断、伊勢湾沿岸部で高潮起き被害大きく
……… 1791年9月17日(寛政3年8月20日)
・寛政8年九州中部、中国地方西部集中豪雨「辰年の洪水」
……… 1796年7月初旬~中旬(寛政8年6月初旬~中旬)
・享和2年6月末梅雨前線豪雨、摂河両国大洪水237か村が被害に
……… 1802年7月27日~8月6日(享和2年6月28日~7月1日)
・文化元年豊後「文化の洪水」 ……… 1804年10月2日(文化元年8月29日)
・文化6年関東一帯暴風雨、廻船、漁船集団遭難
……… 1809年10月2日~3日(文化6年8月23日~24日)
・阿波(徳島県)撫養、堂の浦(鳴門市)の漁船紀州沖で集団遭難-「かどや日記」より
……… 1821年4月21日(文政4年3月19日)記録
・文政7年東日本暴風雨、元岳温泉潰滅 ……… 1824年9月5日~7日(文政7年8月13日~15日)
・文政11年6月晦日台風+梅雨前線、九州東部、東海道、信州、出羽諸国に大被害
……… 1828年8月10日~23日(文政11年6月30日~7月13日)
・文政11年8月「子年の台風(シーボルト台風)」北九州、西中国を荒らし史上最大の被害残す
……… 1828年9月17日~19日(文政11年8月9日~11日)
・文政13年京都洛中、洛外、余震のさなか土砂災害と洪水に見舞われる
……… 1830年9月3日~4日(文政13年7月17日~18日)
・幕府、堤防外河川敷への家屋建築を禁止、関東地方河川沿岸の村々に
……… 1832年2月7日(天保3年正月6日)
・天保5年富士山豪雨で雪解け水山麓へ大洪水となる ……… 1834年5月16日(天保5年4月8日)
・天保6年仙台藩領大洪水など中国から東北へ台風通過
……… 1835年8月29日~30日(天保6年閏7月6日~7日)
・幕府、飢饉対策で御救小屋つくる、天保の大飢饉深刻化、幕藩体制が招いた慢性的飢餓
-30年後体制は崩壊し明治維新成る ……… 1837年4月10日(天保8年3月6日)
・天保15年奥州二本松領、大風災害 ……… 1844年3月20日~21日(天保15年2月2日~3日)
・弘化3年江戸三大水害のひとつ「丙午の大水」停滞前線豪雨による大水害
……… 1846年8月3日~30日(弘化3年6月12日~7月9日)
・弘化3年秋台風、越前に古今未曾有の大風雨 ……… 1846年9月8日(弘化3年7月18日)
・嘉永3年中国地方瀬戸内海沿岸部大洪水、高潮災害、田畑の損害表高の7割に達す
……… 1850年7月上旬、9月中旬(嘉永3年5月末、8月上旬)
・嘉永3年東海豪雨、矢作川、豊川、天竜川の堤防決壊で穀倉地帯壊滅、被害額100万石余
……… 1850年8月26日~30日(嘉永3年7月19日~23日)
・嘉永3年8月台風、北九州、中国地方瀬戸内海沿岸部洪水・高潮災害
……… 1850年9月11日~12日(嘉永3年8月6日~7日)
・嘉永3年9月台風、西国から東海地方へ本邦主要部を襲う
……… 1850年10月7日~8日(嘉永3年9月2日~3日
・安政3年秋関東暴風雨・高潮「安政3年の大風災」江戸時代最大の大型台風襲来
……… 1856年9月23日(安政3年8月25日)
・安政6年南関東一円風水害。記録本と過去帳が語る大水害
……… 1859年8月22日~23日(安政6年7月24日~25日
・万延元年近畿・東海大水害。伊勢湾高潮、天竜川氾らん
……… 1860年6月28日~7月(万延元年5月10日~6月)
・慶応2年8月四国・近畿・関東・奥羽諸国暴風雨「寅年の大洪水」幕府崩壊へ
……… 1866年9月9日~16日(慶応2年8月1日~8日)
・物価騰貴と慶応大凶作-全国で民衆が一斉蜂起、幕府ついに崩壊
……… 1866年12月(慶応2年11月)
・慶応4年梅雨前線豪雨、淀川、大和川流域大水害「戊辰の大洪水」
……… 1868年7月2日~3日(慶応4年5月13日~14日)
・慶応4年梅雨前線豪雨、入鹿池百間堤決壊「入鹿切れ」史上最大の貯水湖(ダム)決壊事故
……… 1868年7月3日(慶応4年5月14日)
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(2024年4月・更新)