【前書き】
「日本の災害・防災年表」は、「周年災害」でご紹介した日本人が被災した災害や特異な災害、または政策・法令を変えた災害及び防災対策などを、次の7種・12表の災害分類にまとめています。
・火災・戦災・爆発事故(江戸時代編)
掲載基準は、原則として死亡者+行方不明者100人以上(海外での日本人死亡者10人以上)、死傷者、感染患者1000人以上、全壊・焼失・流失家屋(住家)1000棟(軒)または1000世帯(かまど、戸)以上、床上浸水家屋(住家)5000棟(軒)または5000世帯(かまど、戸)以上などの大災害を選び出して掲載。
1. 災害・防災年表各編内の災害・防災対策をクリックすると掲載月の記事にリンク全文が読めます。
2.本文中の年月日は太陽暦(グレゴリオ暦)かっこ内年月日は太陰暦=その時代の年号と暦日です。
なお、太陽暦の使用開始は1872年(明治5年)12月3日からで、この日が明治6年1月1日です。
3. 年号の適用は、明治改元の時に定められた「改元の年の1月1日にさかのぼり適用する」ことは せず、改元の前日までは前年の元号です。
4.災害名は混在しないよう通称または気象庁及び中央防災会議での公認名称のない場合は、火山噴火と火災の場合を除き、原則として元号(年)+被災地+災害名です。
5.災害名は、表現の統一及び類似のものと年表上差別化が必要なため、年表上とリンク先の掲載当時の見出しの名称とが若干異なることがあります。
■「火災・戦災・爆発事故/江戸時代(江戸時代編)」
当年表は2005年4月~2021、2022年3月の「周年災害」及び「周年災害・追補版」の掲載記事より作成されています。
災害名等にポインターを当てクリックすると掲載ページ(各月)にリンクし、全文が読めます。
○「火災・戦災・爆発事故(古代から安土・桃山時代まで(中世編)」は下記をクリックして下さい。
・火災・戦災・爆発事故/古代から安土・桃山時代まで(中世編)
〇江戸時代(1600年~1867年)
・家康入府後初の江戸慶長6年の大火-半瓦弥次兵衛のはなし
……… 1601年12月26日(慶長6年閏11月2日)
・幕府、柴田康長を史上初、首都政庁の火之番組頭に任命。
家康征夷大将軍になり首都政治の拠点江戸城大改築指示を背景 ……… 1605年1月(慶長9年12月)
・江戸城内で“町入能(まちいりのう)”上演中、タバコの火から神田で火事
-2年半後、タバコ禁止令出る。江戸城勧進興行由来 ……… 1607年2月3日(慶長12年1月7日)
・富山慶長14年の大火「柄巻屋火事、剣の火事」 ……… 1609年4月22日(慶長14年3月18日)
・山城伏見町(京都市)慶長16年の大火、政治の町から淀川水運、酒造の町へ
……… 1611年12月20日(慶長16年11月17日)
・伏見、小田原慶長16年の大火、下田、丸子と謎の同日火災?-家康放火犯捜索を指示
……… 1611年12月20日(慶長16年11月17日)
・大坂夏の陣で大野治胤、堺を焼き討ち ……… 1615年5月25日(慶長20年4月28日)
・大坂夏の陣で大坂城落城、城下廃墟となる-天下の台所に変貌
……… 1615年6月4日(慶長20年5月8日)
・慶長から元和へ改元、豊臣氏滅ぶ「元和偃武」 ……… 1615年9月5日(慶長20年7月13日)
・江戸城大奥男子禁制となり、奥女中による御火之番組編成される
-家光治世時、大奥の失火で本丸殿舎焼け、奥火之番組編成され、防火体制強化
……… 1618年1月27日(元和4年1月1日)
・奈良元和5年の大火「新町焼け」大坂夏の陣の避難民集落全焼か?
……… 1620年1月6日(元和5年12月2日)
・京都、豊臣家残党?による放火で大火相次ぐ-町掟で消防ルールつくる
……… 1620年4月2日、6日(元和6年2月30日、3月4日)
・江戸日本橋寛永4年横山町の大火 ……… 1627年11月2日(寛永4年9月30日)
・幕府、江戸武家屋敷街に辻番所設置、辻斬り対策で挙動不審者を逮捕させる
……… 1629年5月(寛永6年3月)
・幕府、町木戸設置させ辻番と後の自身番と共に治安強化はかる、平安時代“釘貫門”が発祥か
……… 1629年5月(寛永6年3月)
・諸大名帰国に際し在府大名たちに火の番仰せつける、奉書火消の文献初出、治安強化策の一環か
……… 1629年7月5日(寛永6年5月15日)
・幕府、大番、書院番、小姓組番の番衆に初の夜廻り仰せつけ、市中警備(防火)体制を整備、
のちに昼間も巡回し、その職務は火災後の対応から江戸城の防火役まで次々と拡大
……… 1629年11月29日(寛永6年10月7日)
・金沢寛永8年の大火 ……… 1631年5月15日(寛永8年4月14日)
・江戸町奉行、火事場泥棒対策で「覚」出す-その後も禁止令出すが効果なく、
後年、町単位での防犯、防火体制生まれる ……… 1634年3月25日(寛永11年2月26日)
・大坂で幕府公認町火消4組が全国初の誕生、将軍家光、三郷の惣年寄に纏を持つことを許す
……… 1634年4月(寛永11年3月)
・金沢寛永12年の大火 ……… 1635年6月23日(寛永12年5月9日)
・幕府、海運の発展に対応、浦々高札を建て難破船の処置について布達
……… 1636年9月1日(寛永13年8月2日)
・江戸町奉行堀直之、火災の責任により閉門 ……… 1638年2月1日(寛永14年12月18日)
・幕府、本丸殿舎全焼を受け、奥方火之番を任命し表火之番と分ける、大奥防火体制強化
……… 1639年11月2日(寛永16年10月7日)
・幕府、奉書火消を専任化し初めて組織的な消火体制に、ただし町方対策は10年後
……… 1639年11月10日(寛永16年10月15日)
・幕府、本丸殿舎消失を機に“所々火消”を初めて任命、まず江戸城内将軍家霊廟を守る。
城内を始め武家屋敷、幕府主要施設の防・消化体制を強化
……… 1640年1月7日(寛永16年閏11月14日)
・米沢寛永17年の大火、1か月の間に10か所から出火-藩士に火事の際の役割分担させる
……… 1640年4月10日(寛永17年2月23日)
・江戸最初の広域大火「桶町の大火」-大名火消と木場の誕生
……… 1641年3月10日(寛永18年1月29日)
・江戸城、本丸に次いで二の丸火之番置かれる。江戸城防火管理体制、内外郭とも厳重強化へ
……… 1643年10月19日(寛永20年9月7日)
・幕府、初の組織的な火消制度“大名火消”創設 ……… 1643年11月8日(寛永20年9月27日)
・幕府、辻番所を江戸市中と近郊の武家地に増設させる ……… 1645年9月24日(正保2年8月5日)
・幕府、大名火消の初期消火、江戸城内の防火、消火要項定める
……… 1646年4月29日(正保3年3月14日)
・江戸時代もドローン落下騒動。火をつけた紙鳶(たこ)江戸城内に落下、市中での紙鳶遊び即中止に
……… 1646年5月11日(正保3年3月26日)
・仙台正保4年の大火、町家一軒屋敷以上1600軒余焼く
……… 1647年5月16日(正保4年4月12日)
・正保から慶安へ改元、年号(正保=焼亡)のせいか、将軍日光社参へのお清めか
……… 1648年4月7日(正保5年2月15日)
・江戸町奉行、将軍日光社参に際し、川べり、橋際、橋の上での商売、小屋がけなどを防火上禁止
その後街角も禁止対象になるが最後は黙認へ-神田火災後、材木置場の川べりからの移転は実施
……… 1648年4月20日(慶安元年2月28日)
・将軍日光社参に際し、町人たちに町の防火・警備について初のお触れ、大名火消も強化
……… 1648年6月1日(慶安元年4月10日)
・江戸町奉行、防火対策で華美禁止にかこつけ花火禁止、その後幾度も禁止の触れ
……… 1648年8月15日(慶安元年6月27日)
・大坂町奉行所、自身番当番免除及び代理を出す人々を指示、代行の風潮に歯止め期待
江戸より早い自身番の記録 ……… 1649年1月28日(慶安元年12月16日)
・江戸町奉行、左毬杖(さぎちょう:左義長)行事に“薪を沢山積み重ねるな”と制限令
-最後は左義長禁止令迄に発展 ……… 1649年1月31日(慶安元年12月19日) (370年前)
・江戸町奉行、火災シーズンを前に、町方に一連の「警火の町触」出す,後の定式町触の基本
……… 1649年2月2日(慶安元年12月21日)
・江戸町奉行、将軍世子(世継)家綱日光社参に際し、治安強化策として中番を置く、
後に季節的防火要員として制度化 ……… 1649年5月21日(慶安2年4月10日)
・慶安2年武蔵、下野地震-避難路拡大で往来での商売禁ず
……… 1649年7月29日(慶安2年6月20日)
・江戸町奉行、町中の橋の上、橋のたもと、街角での商売を禁じる
……… 1649年8月19日(慶安2年7月12日)
・江戸町奉行、市中町方の夜番(火の番見廻り)に対する管理を強め防災体制強化
-後に増番、中番、屋根番、火の見やぐら番へと火の番役を増やす
……… 1649年11月20日(慶安2年10月16日)
・出羽久保田(秋田市)慶安3年の大火、2000軒余焼失 ……… 1650年4月23日(慶安3年3月23日)
・幕府“増火消”を6大名家に初めて命じる、風激しく大火のおそれあるとき増援
……… 1650年5月7日(慶安3年4月7日)
・江戸町奉行、二階で火を使うこと、消し炭の処理について飽きずに具体的な禁止指示
……… 1651年6月27日(慶安4年5月10日)
・河内台(大)ヶ塚村(河南町)、誉田、慶安4年の大火
……… 1651年12月12日~13日(慶安4年10月30日~11月1日)
・江戸町奉行、家持町人に自身番所設置を命じる、後の町火消制度の原動力に
……… 1652年1月11日(慶安4年12月1日)
・江戸町奉行、風の強い日の外出制限や帰宅指示、留守がちな独身者の家をマーク
……… 1653年3月3日(承応2年2月4日)
・江戸町奉行、湯屋、風呂屋で湯を沸かす時間を午後6時までと制限、
8年後茶屋、煮売りの営業時間も制限-ところが逆にそば、うどんなど夜の新規煮売行商現れる
……… 1654年1月9日(承応2年11月21日)
・江戸町奉行、玉川上水完成を受け、消防水利強化のため井戸の掘削指示
……… 1655年4月26日(承応4年3月20日)
・和歌山明暦元年の大火 ……… 1655年12月10日(明暦元年11月13日)
・江戸日本橋明暦2年元呉服町の大火 ……… 1656年12月1日(明暦2年10月16日)
・1657明暦江戸大火「振袖火事」世界三大大火の一つ起きる-大火後、江戸大改造と消防組織の誕生
……… 1657年3月2日~4日(明暦3年1月18日~20日)
・浅野長治、明暦大火時革羽織で無事登城-火事羽織として定着、義兄の奉書火消長直伝授か
……… 1657年3月3日(明暦3年1月19日)
・幕府、方角火消を初めて任命-江戸城延焼防止に専念「防ぎ大名」の異名
……… 1657年3月22日(明暦3年2月8日)
・明暦の大火の教訓で瓦葺き禁じられる-
以降、60年以上も大邸宅も大寺院も板葺き・土塗り・牡蠣殻葺き屋根
……… 1657年4月13日(明暦3年2月30日)
・江戸町奉行、延焼防止で道路拡張のため家の庇(ひさし)除去指示
……… 1657年5月18日(明暦3年4月5日)
・幕府、明暦の大火を機に江戸の街の大改造行う……… 1657年11月(明暦3年10月)
・江戸本郷明暦4年六丁目の大火、復興間もない江戸の中心街焼く
……… 1658年2月12日(明暦4年1月10日)
・江戸町奉行、町の治安維持強化のお触れ、自身番への治安分担多く町人の負担増える
……… 1658年8月8日(明暦4年7月10日)
・幕府、両国橋架橋計画決定。明暦の大火後の江戸復興政策の一環として
……… 1658年8月14日(明暦4年7月16日)
・明暦から万治へ改元、明暦の大火による ……… 1658年8月21日(明暦4年7月23日)
・江戸日本橋で自衛消防組織“民営町火消組(店火消)”誕生、厳しい規律のもと初期消火担う
……… 1658年9月4日(万治元年8月7日)
・幕府、江戸の街を守る常設火消「定火消」を新設-明治維新後消防署へ
……… 1658年10月4日(万治元年9月8日)
・幕府、旗本・御家人に防火の心得布令。江戸の防火に武家も総出、不審者に対する捕縛も、
後に同心たちに逮捕権を与えた夜廻り専任化、更に火付盗賊改役設置へ
……… 1658年11月22日(万治元年10月27日)
・町内に町奉行与力指揮下の官製・町火消(店火消)“火消組”編成へ-ほとんどの町人は無視
……… 1658年11月23日(万治元年10月28日)
・定火消、初の出初式挙行、江戸っ子を前にお披露目、復興への意欲高める
……… 1659年2月25日(万治2年1月4日)
・福井万治2年の大火-城下の防火対策を念頭にした町割に変更
……… 1659年5月22日(万治2年4月2日)
・江戸城茶坊主衆に防火の定め事細かく規定 ……… 1659年10月20日(万治2年9月5日)
・対馬府中(対馬市厳原)万治2年の大火「一番火事」 ……… 1660年2月8日(万治2年12月27日)
・江戸湯島万治3年天神前の大火 ……… 1660年2月24日(万治3年1月14日)
・名古屋万治3年の大火-広小路できる ……… 1660年2月24日~25日(万治3年1月14日~15日)
・幕府、頻発する火災についに腰を上げ、初の町家防火対策を示達-かき殻葺き屋根が広く普及
……… 1660年4月3日(万治3年2月23日)
・米沢万治3年の大火、二日連続の大火 ……… 1660年4月29日、30日(万治3年3月20日、21日)
・江戸で80余日間に105回火災-幕府ようやく防火対策に本腰
……… 1660年5月3日(万治3年3月24日)
・大坂城煙硝蔵に落雷-城内外大火災、犠牲者120人余
……… 1660年7月25日(万治3年6月18日)
・江戸町奉行、建物二階での紙燭、油火、ローソク使用禁止 ……… 1660年7月(万治3年6月)
・江戸神田万治四年元鷹匠町(小川町)の大火。この日二度目の出火が大火を招く
……… 1661年2月19日(万治4年1月20日)
・万治から寛文へ改元、御所、大内裏、公家屋敷焼く ……… 1661年5月23日(万治4年4月25日)
・江戸町奉行、町方の防火体制強化指示、官製店火消姿なく町人自身の自衛消火(駆付火消)指示
……… 1661年11月9日~12月11日(寛文元年9月18日~10月20日)
・江戸町奉行、町中の茶店、煮売りの午後6時以降の営業を禁じる
……… 1661年11月(寛文元年10月)
・江戸町奉行所、正月の松飾りを焼く“左義長(さぎちょう)行事”を禁止、その取り外しも7日に
防火のためとはいえ花火の禁止に次ぎ庶民の楽しみなくなる
……… 1662年2月24日(寛文2年1月6日)
・幕府、諸同心に防火の心得を指示、非番の時でも火事に注意し放火犯を捕らえよ
……… 1663年1月11日(寛文2年12月2日)
・長崎寛文3年の大火(放火自殺事件) ……… 1663年4月15日~16日(寛文3年3月8日~9日)
・幕府、辻番所制規を示達 ……… 1663年4月(寛文3年3月)
・幕府、将軍の親衛隊、小姓組、書院番、新番、小十人組に江戸城近辺火事の際の詰め場を指定
……… 1664年1月(寛文4年12月)
・幕府、火付盗賊改役を設ける ……… 1665年11月(寛文5年10月)
・大坂寛文6年の大火「雑喉(雑魚)場焼、新町遊郭。焼失単位について雑記
……… 1667年1月1日~3日(寛文6年12月7日~9日)
・幕府、難破船に対する浦方条目(浦高札)定める-灯台建設も計画
……… 1667年4月11日(寛文7年閏2月18日)
・江戸寛文8年2月、6日間に7件の連続火災-新橋の由来
……… 1668年3月13日~18日(寛文8年2月1日~6日)
・福井寛文9年の大火-城下町のわらぶき屋根を板ぶきに替える
……… 1669年5月14日(寛文9年4月15日)
・幕府市中での花火制限令、江戸っ子猛反発-雌伏47年水神祭余興の花火に許可が下り、
両国川開き花火大会へ ……… 1670年8月31日(寛文10年7月16日)
・伊勢山田(伊勢市)、寛文の大火「鉈(なた)屋火事」-大火後山田奉行、外宮中心の防火町造り
……… 1671年1月5日(寛文10年11月24日)
・京都寛文11年の大火-京都所司代、失火者の六条有綱を蟄居処分
……… 1671年2月24日(寛文11年1月15日)
・江戸町奉行、大風の際、道路を掘って家財を埋め類焼を防ぐのを禁じる
……… 1672年3月3日(寛文12年2月4日)
・京都寛文13年の大火「延宝の大火」 ……… 1673年6月22日(寛文13年5月8日
・寛文から延宝へ改元、京都寛文13年の大火による ……… 1673年10月30日(寛文13年9月21日)
・伊勢山田(伊勢市)延宝元年の大火 ……… 1674年1月20日~21日(延宝元年12月14日~15日)
・出羽久保田(秋田市)延宝2年の大火 ……… 1674年6月2日~3日(延宝2年4月28日~29日)
・富山延宝3年の大火「細野焼」 ……… 1675年4月23日(延宝3年3月29日)
・京都延宝3年の大火、造営中の内裏は無事 ……… 1676年1月10日(延宝3年11月25日)
・金沢延宝4年の大火、現在の金沢駅南部一帯に猛火 ……… 1676年4月2日(延宝4年2月19日)
・越後高田(上越市)延宝4年の大火、高田城築城以来の大火災
……… 1676年5月11日(延宝4年3月29日)
・丹波福知山延宝5年の大火、城下の町家ほとんどを焼き尽くす
……… 1677年5月7日(延宝5年4月6日)
・幕府、失火者斬罪令出す。各防火対策稔らず焦りからか
……… 1678年3月4日(延宝6年1月12日)
・鹿児島延宝6年の大火、下町の町家97%が焼失しほぼ壊滅
……… 1678年5月24日(延宝6年4月4日)
・鹿児島延宝8年の大火「田尻殿火事」、諸士不在時の大火
……… 1680年2月12日(延宝8年1月12日)
・各自火消・加賀鳶(かがとび)公式に誕生、国元での成果を江戸藩邸で活かす
……… 1681年3月2日(延宝9年1月12日)
・会津若松延宝9年の連続大火 ……… 1681年5月28日、30日(延宝9年4月11日、13日)
・幕府、在府諸藩の各自火消を制度化、藩邸と周辺の消火に専念
……… 1682年11月29日(天和2年11月1日)
・江戸市ヶ谷天和2年河田窪原町の大火 ……… 1682年12月16日(天和2年11月28日)
・江戸駒込天和2年の大火「お七火事」 ……… 1683年1月25日(天和2年12月28日)
・江戸町奉行、火災時、車での荷物運搬、橋や道路上へ置くこと禁止-禁令効かず馬も登場
建具などを江戸城内に避難も ……… 1683年2月15日(天和3年1月19日)
・幕府、辻番規定を改定し衛生管理も職務に-明治時代の防疫活動へ継承
……… 1683年3月27日(天和3年2月29日)
・江戸町奉行、夜間提灯持ち歩き巡回する巡礼、山伏、乞食僧などを禁止
……… 1684年8月(天和4年7月)
・江戸町奉行、屋根に近い大釜、火焼所の場所を改めさせる
……… 1686年3月25日(貞享3年3月2日)
・丹波福知山貞享3年の大火、1年のうちに2回も大火に
……… 1686年4月10日(貞享3年3月18日)
・岐阜貞享3年の大火、城下の九割が灰に
……… 1686年4月10日~11日(貞享3年3月18日~18日)
・金沢元禄3年の大火、二か所から出火し丸二日間6600余戸に延焼した史上屈指の大火災
……… 1690年4月24日~26日(元録3年3月16日~18日)
・京都元禄3年の大火。断片的な記録と異なる被災数だが、焼失面積から1000余戸焼失と見る
……… 1691年1月7日(元禄3年12月9日)
・幕府、京都火消(大名火消)置く-その後幾多の変遷を重ね京都の街を守る
……… 1691年10月21日(元禄4年9月1日)
・江戸町奉行、町名主に防火用水設備の点検実施指示、現在も生きている御指示の主旨
……… 1692年2月4日(元禄4年12月18日)
・伊予(愛媛県)別子銅山、大火災起こし全山壊滅-しかし3年後、全国銅産出量の28%占める
……… 1694年5月18日(元禄7年4月25日)
・江戸四谷元禄8年御門前の大火 ……… 1695年3月22日(元禄8年2月8日)
・江戸町奉行、喫煙しながらの市中往来禁じる-300年後東京都千代田区が踏襲
……… 1695年11月7日(元禄8年10月1日)
・江戸町奉行、防火のため日常の消し炭の取扱についてお触れ
……… 1696年3月5日(元禄9年2月2日)
・久留米元禄9年の大火「白石火事」 ……… 1696年3月11日(元禄9年2月8日)
・鹿児島元禄9年の大火、1400軒余焼失放火とわかる ……… 1696年5月23日(元禄9年4月23日)
・江戸大塚-麹町元禄10年の大火 ……… 1697年11月30日(元禄10年10月17日)
・長崎元禄11年の大火、土蔵焼き貿易物品42億円余が灰に
……… 1698年5月31日(元禄11年4月22日)
・江戸元禄11年の大火「勅額火事」-上野広小路の設置
……… 1698年10月9日(元禄11年9月6日)
・幕府、火事場目付を任命、定火消などの消火活動を監察。使番の役割について
……… 1698年10月21日(元禄11年9月18日)
・高知元禄11年の大火、2100余戸焼く ……… 1698年11月8日(元禄11年10月6日)
・江戸日本橋元禄11年石町の大火、江戸の中心街焼く、日本橋下に犠牲者が
将軍御成りの柳沢吉保邸が臨時の防火指揮所? ……… 1699年1月10日(元禄11年12月10日)
・大和郡山元禄12年の大火、城下の3分の1焼失
……… 1699年2月25日~26日(元禄12年1月26日~27日)
・丹波福知山元禄12年の大火、三度目の正直で防火都市として再建
……… 1699年10月~11月(元禄12年閏9月)
・名古屋元禄13年の大火、城下の西半分が灰となる ……… 1700年3月27日(元禄13年2月7日)
・桑名元禄14年の大火、町民たち梅見で留守中の惨禍-復興後、野村騒動起きる
……… 1701年3月15日(元禄14年2月6日)
・元禄14年、彦根城下未曽有の大火、湖畔より東へ彦根道まで延焼
……… 1701年11月6日(元禄14年10月7日)
・江戸城内の防火細則決まり相触れ、具体的な規定で防火を徹底させる
……… 1702年12月(元禄15年11月)
・鹿児島元禄16年の大火「勝目殿火事」 ……… 1703年3月22日(元禄16年2月6日)
・江戸元禄16年四谷伊賀町-麻布の大火、大名屋敷街をひとなめに
……… 1703年12月26日(元禄16年11月18日)
・江戸元禄16年の大火「水戸様火事」 ……… 1704年1月6日(元禄16年11月29日)
・奈良宝永元年の大火 ……… 1704年5月14日(宝永元年4月11日)
・伊勢山田(伊勢市)宝永3年の大火、外宮は官民共同で守り無事
……… 1706年12月6日(宝永3年11月2日)
・仙台宝永4年の大火、連続大火で一軒屋敷2000軒余焼く
……… 1707年3月23日(宝永4年2月20日)
・熊本宝永4年の大火、物流の拠点古町地区に延焼 ……… 1707年4月7日(宝永4年3月5日)
・仙台宝永5年の大火、城下町のほとんどを焦土と化した江戸時代最大の火災
……… 1708年3月16日(宝永5年閏1月24日
・京都宝永5年の大火、内裏を始め宮家御所、公卿屋敷など110余、町家、寺社など1万1000余焼く
……… 1708年4月28日(宝永5年3月8日)
・熊本宝永5年の大火、町家1200軒余ほか武家屋敷多く焼く
……… 1708年4月30日(宝永5年3月10日)
・大坂宝永5年の大火「道修(どしょう)町焼」商都大坂の中心部焦土に
……… 1709年2月8日~9日(宝永5年12月29日~30日)
・幕府、京都火消を京都常火消として復活し、町人地、寺町の消火を担当。
譜代大名による禁裏御所方火消も新たに編成し京都の消防体制いっそう強化
……… 1709年4月(宝永6年3月
・岩代若松(会津若松市)宝永6年の大火、強風による飛び火で被害拡大
……… 1709年5月16日(宝永6年4月7日)
・江戸町奉行、火事避難時の混乱防止のため車長持の製造販売禁止
……… 1711年7月5日(正徳元年5月30日
・鳥取正徳元年の大火「真教寺火事」……… 1711年10月21日~22日(正徳元年9月10日~11日)
・鳥取正徳2年の大火「麩屋火事」、大火後、火防方の改組、城下の警備を厳重に
……… 1712年4月6日(正徳2年3月1日)
・鹿児島正徳3年の連続火災ー防火用空き地を造成
……… 1713年2月3日、14日、5月20日(正徳3年1月9日、20日、4月26日
・京都正徳3年の大火 ……… 1713年4月14日(正徳3年3月20日)
・江戸下谷正徳三年屏風坂下の大火 ……… 1714年2月6日(正徳3年12月22日)
・江戸正徳6年、2か月間に15日、火元20個所の連続火災。
吉宗の享保の改革で、江戸の防火対策を中心に据える背景となった火災
……… 1716年1月25日~3月22日(正徳6年1月1日~2月22日)
・大坂享保元年の大火「堂島焼」 ……… 1716年8月20日~21日(享保元年7月4日~5日)
・江戸享保2年「小石川馬場の火事」をはさむ連続火災-護持院焼け跡を避難地に
……… 1717年3月4日、5日(享保2年1月22日) 及び2月17日、23日(同年1月7日、13日)
・伊勢山田(伊勢市)享保2年の大火 ……… 1717年12月16日(享保2年11月14日)
・江戸牛込享保2年払方町の大火、牛込から芝海岸まで約61平方km焼く
……… 1718年1月29日(享保2年12月28日)
・高松享保3年の大火、徹底した飛び火対策も延焼を免れず城下最大の被害に
……… 1718年1月31日~2月1日(享保3年1月1日~2日)
・江戸町奉行、防火方法について町名主に諮問しこの日答申、答申を受け町民の自衛防火力を確認
-町火消組合編成へ ……… 1718年10月22日(享保3年9月30日)
・江戸町奉行、町火消組合編成を命じる、町人自身による消火活動で江戸を守る体制へ
……… 1718年11月10日(享保3年10月18日)
・川越享保の大火、1000軒余を失う古来まれな大火、のち城下の防災化進む
……… 1719年1月28日(享保3年12月9日)
・越後新発田享保4年の大火「長行寺火事:第一與茂七火事」城内にも延焼
……… 1719年5月26日(享保4年4月8日)
・鳥取享保の大火「石黒火事」鳥取藩史上稀代の大火 ……… 1720年5月7日(享保5年4月1日)
・江戸町奉行、瓦葺き土蔵造、塗家造を許可し防火対策進めるが消火方法が破壊消防のため普及せず
……… 1720年5月26日(享保5年4月20日)
・江戸町奉行、町火消を“いろは48組”に再編成、奉行所に町火消人足改役設置、鳶人足が主役
……… 1720年9月9日(享保5年8月7日)
・江戸享保春の連続火災、1か月間に6回も続く
……… 1721年2月8日~3月31日(享保6年1月8日~3月4日)
・江戸町奉行、いったんは商売を禁止した髪結床に自主防災の橋火消を命じる
……… 1722年4月21日(享保7年3月6日)
・幕府、火事場見廻役を置く、大名火消、各自火消の指揮と調整役
……… 1722年5月25日(享保7年4月11日)
・会津若松享保8年の大火 ……… 1723年5月25日(享保8年4月21日)
・江戸町奉行、江戸中心地の町家の屋根や家屋の防火構造命じる-4年後には税金も免除、
しかしそこまでしても進捗せず、150年後の京橋の火災で約7割が板葺きとわかる
……… 1723年7月8日(享保8年6月7日)
・幕府、火の見やぐら設置基準定め建設を推進させる ……… 1723年9月14日(享保8年8月15日)
・幕府、江戸市内武家屋敷の瓦葺き化に資金を貸与、しかし大名屋敷さえも実施難航
-155年経った明治時代でも東京の中心街の7割が板ぶき屋根
……… 1724年1月13日(享保8年12月18日)
・大坂最大の享保9年の大火「妙知焼」……… 1724年4月14日~15日(享保9年3月21~22日)
・鳥取享保9年の大火「黒川火事」-定火消2名選任
……… 1724年4月30日~5月1日(享保9年4月8日~9日)
・名古屋享保9年の大火 ……… 1724年7月3日~4日(享保9年5月13日~14日)
・越中氷見享保10年の大火、町の8割以上焼く ……… 1725年4月8日(享保10年2月25日)
・江戸青山享保10年久保町放火による大火 ……… 1725年3月28日(享保10年2月14日)
・江戸町奉行、火事場建具改役を置き、避難路、消火隊進入路の確保、延焼防止を役目に
……… 1725年4月(享保10年3月)
・久留米享保11年の大火「田代火事」4230軒余焼失 ……… 1726年4月5日(享保11年3月4日)
・酒田享保11年の大火「権九郎火事」町の4分の3焼失
……… 1726年6月7日(享保11年5月8日)
・高知享保12年の大火、未曾有の大火で高知城焼け落ちる
……… 1727年3月23、24日(享保12年2月1日、2日)
・鳥取享保12年の大火「帳屋火事」城内外に延焼 ……… 1727年4月17日(享保12年2月26日)
・仙台享保12年の大火、侍屋敷と寺院に被害が ……… 1727年5月6日(享保12年3月16日)
・越後長岡享保13年の大火「三蔵火事」長岡城、同城下全焼
……… 1728年5月5日(享保13年3月27日)
・飛騨高山享保14年の大火、三筋の町5軒を残し全焼
……… 1729年4月5日~6日(享保14年3月8日~9日)
・盛岡享保14年の大火、城下始まって以来の大火 ……… 1729年4月30日(享保14年4月3日)
・熊本享保14年の大火「藪の内火事」火薬製造中、タバコの火から屋敷へ延焼
……… 1729年5月25日(享保14年4月28日)
・火之用心を説く「家内用心集」出版される ……… 1730年2月(享保15年1月)
・幕府、一般庶民向けの家庭用救急医療書を出版、無医村対策の面も
……… 1730年4月3日(享保15年2月16日)
・出羽久保田(秋田)享保15年の大火、城下の大半約2000軒焼失
……… 1730年5月22日(享保15年4月6日)
・京都享保の大火「西陣焼け」地方へ四散した職人たちが桐生など新しい織都つくる
……… 1730年8月3日(享保15年6月20日)
・金沢享保16年の大火「小立野火事」 ……… 1731年4月7日(享保16年3月1日)
・会津若松享保16年の大火、7時間余燃え続ける ……… 1731年4月24日(享保16年3月18日)
・江戸享保16年、一日に三度の連続火災 ……… 1731年5月20日(享保16年4月15日)
・対馬府中(対馬市厳原)享保17年の大火でほぼ全焼 ……… 1732年4月20日(享保17年3月26日)
・江戸享保17年連続六番出火―江戸市中の四方八方で出火
……… 1732年4月22日(享保17年3月28日)
・鹿児島享保17年の大火 ……… 1732年10月7日(享保17年8月19日)
・那珂湊(ひたちなか市)享保17年の大火「玄宝屋火事」
……… 1733年1月1日(享保17年11月16日)
・金沢享保18年の連続大火 ……… 1733年6月8日、11日(享保18年4月26日、29日)
・江戸大川(隅田川)で花火大会はじまる-歴史は隅田川花火大会へ引き継がれる
……… 1733年7月9日(享保18年5月28日)
・小田原享保19年の大火 ……… 1734年4月3日(享保19年2月30日)
・金沢享保21年「卯辰の大火」、2100余軒焼失 ……… 1736年5月17日(享保21年4月7日)
・江戸町奉行、家が建ち並ぶ町中での花火を禁止 ……… 1738年9月11日(元文3年7月28日)
・名古屋元文6年の大火、一里二十八町の間を焼く ……… 1741年2月17日(元文6年1月2日)
・京都寛保元年の大火、芝居小屋、茶店残らず焼失 ……… 1742年1月1日(寛保元年11月25日)
・幕府基本法典「公事方御定書」編さんされ3奉行褒章される、交通事故、失火に対して厳罰
……… 1742年5月10日(寛保2年4月6日)
・豊後府内(大分市)寛保3年の大火 ……… 1743年4月30日(寛保3年4月7日)
・岐阜寛保3年の大火 ……… 1743年5月29日(寛保3年閏4月6日)
・出羽能代寛保の大火-復興に格差現る ……… 1743年11月8日(寛保3年9月23日)
・江戸延享2年の大火「六道火事」 ……… 1745年3月14日(延享2年2月12日)
・江戸延享3年の大火「坪内火事」、築地から本所、浅草を全焼、小塚原で止む
……… 1746年4月20日~21日(延享3年2月30日~3月1日)
・江戸町奉行、火災時の家財持ち出し禁止-現代でも自動車での避難禁止
……… 1746年4月26日(延享3年3月6日)
・高知延享3年の大火、紺屋より出火し2400軒余焼く ……… 1747年1月16日(延享3年12月6日)
・江戸城二の丸殿舎火災、町火消はじめて城内での消火活動に従事
……… 1747年5月24日(延享4年4月16日)
・酒田寛延4年の大火「宝暦の大火:豊後火事」、大火で焼失した陣屋(幕府御米置場)の事
……… 1751年4月25日(寛延4年3月29日)
・仙台宝暦2年の大火、町人の家を中心に1500戸余焼く……… 1752年3月21日(宝暦2年2月6日)
・鳥取宝暦3年の大火「帽子屋火事」 ……… 1753年4月27日(宝暦3年3月24日)
・熊本藩「御刑法草書」施行-革新的な内容で諸藩法改革の模範になり後の明治近代刑法の基になる
……… 1755年5月(宝暦5年4月)
・江戸宝暦6年12月「大学火事、青山六道火事」と連続大火、火元落首で皮肉られる
……… 1756年12月14日(宝暦6年11月23日)
・高知宝暦6年の大火、石立村から出火 ……… 1757年2月18日(宝暦6年12月28日)
・名古屋宝暦7年の大火、城下の中心部焼く ……… 1758年2月8日(宝暦7年12月30日)
・広島「宝暦の大火」城下町成立後最大の大火
……… 1758年5月9日~11日(宝暦8年4月3日~5日)
・酒田宝暦8年の大火、防火帯の広小路建設 ……… 1758年8月16日(宝暦8年7月13日)
・金沢宝暦9年の大火、焼失するもの1万500余戸
……… 1759年5月6日~7日(宝暦9年4月10日~11日)
・江戸宝暦10年2月、赤坂、麻布、芝、神田「明石屋火事」と連日の火災、享保時代以降の大火
……… 1760年3月20日~23日(宝暦10年2月4日~7日)
・加賀大聖寺(現・加賀市)宝暦10年の大火、城下町のほとんどを失う
……… 1760年3月23日(宝暦10年2月7日)
・奈良宝暦12年の大火、町家3000余軒、興福寺、東大寺の子院など焼く
……… 1762年3月18日(宝暦12年2月23日)
・越前府中(越前市)宝暦12年の大火 ……… 1762年5月10日(宝暦12年4月17日)
・伊勢山田(伊勢市)明和元年の大火 ……… 1765年1月8日~9日(明和元年12月17日~18日)
・江戸町奉行、江戸城周辺の消防力強化のため、竜吐水を町火消組に支給
……… 1765年2月14日(明和元年閏12月25日)
・長崎明和3年の大火、2800戸焼失 ……… 1766年4月6日~7日(明和3年2月27~28日)
・福井明和3年の大火、2600軒余焼失 ……… 1766年4月13日(明和3年3月5日)
・水戸明和3年の大火、下町ほぼ全焼、郊外の村々にも火の手が
……… 1766年4月29日(明和3年3月27日)
・江戸明和9年「目黒行人坂の大火」-大火を忌み安永と改元
……… 1772年4月1日~2日(明和9年2月29日~30日)
・酒田明和9年の大火「片町火事:藤十郎火事」
……… 1772年5月17日~18日(明和9年4月15日~16日)
・明和から安永へ改元。大火あり、明和九(めいわく:迷惑)で
……… 1772年12月10日(明和9年11月16日)
・会津若松安永2年の大火 ……… 1773年7月24日(安永2年6月5日)
・名古屋安永2年「玄海非人小屋の大火」 ……… 1773年12月24日(安永2年11月12日)
・鹿児島安永3年の大火「南林寺門前火事」
……… 1774年9月5日~6日(安永3年7月30日~8月1日)
・越前大野安永4年の大火「太郎兵衛火事」大野史上最大の大火
……… 1775年5月7日(安永4年4月8日)
・松本安永5年、城下町建設以来の大火「綿屋火事」大火後主要な通りを拡張
……… 1777年1月26日~27日(安永5年12月17日~18日)
・越前三国湊(現・坂井市)安永7年の大火、街の9割が焦土に
……… 1778年4月19日(安永7年3月22日)
・盛岡安永7年の大火、史上最大の大火災となる ……… 1778年5月6日(安永7年4月10日)
・熊本安永7年の大火、城下侍屋敷街を焼く
……… 1778年9月18日~19日(安永7年閏7月28~29日)
・名古屋天明2年の大火、西北の強風に乗って名古屋城下東側焼け野原に
……… 1782年2月25日(天明2年1月14日)
・出羽久保田(秋田市)天明3年の大火 ……… 1783年4月2日(天明3年3月1日)
・青森天明3年の大火、大飢饉のさなか騒動と放火事件のはてに
……… 1783年12月5日~6日(天明3年11月12日~13日)
・大坂天明3年の大火「上町焼」 ……… 1784年1月11日(天明3年12月19日)
・大坂天明4年の大火「曽根崎焼」 ……… 1784年4月19日(天明4年2月30日)
・飛騨高山天明4年の大火 ……… 1784年5月9日(天明4年3月20日)
・江戸鍛冶橋門内天明4年大名小路の大火
……… 1785年2月5日~6日(天明4年12月26日~27日)
・江戸天明6年二日続きの大火 ……… 1786年2月20日、21日(天明6年1月22日、23日)
・高知天明6年の大火「会所焼」 ……… 1786年3月1日(天明6年2月2日)
・京都天明の大火「どんぐり焼け」史上最大の火災、市民の約9割が家屋焼失か
……… 1788年3月7日~9日(天明8年1月30日~2月2日)
・天明から寛政へ改元。京の9割を焼いた史上最大の大火“どんぐり焼け”による
……… 1789年2月19日(天明9年1月25日)
・越前大野寛政元年連光寺の大火、寺町より出火、南東の風強く大火に
……… 1789年5月11日(寛政元年4月17日)
・大坂寛政元年「上町大火:東横堀焼」……… 1790年2月5日~6日(寛政元年12月22日~23日)
・松平定信、寛政の改革で町火消の費用削減を指示、火消人足たちの不評を買い改革挫折の一因に
……… 1791年5月11日(寛政3年4月15日)
・大坂寛政3年の大火「伏見屋火事、堀江・島の内焼」
……… 1791年11月5日(寛政3年10月10日)
・寛政の改革で定火消の担当区域を拡大、町火消の管轄内進入で消し口争いの危険
……… 1792年2月15日(寛政4年1月23日)
・大坂寛政4年中船場大火「惣嫁火事」 ……… 1792年7月4日~5日(寛政4年5月16日~17日)
・江戸麻布寛政4年笄橋の火事 ……… 1792年9月7日~8日(寛政4年7月21日~22日)
・松平定信、江戸城周辺火災の際の「防火命令」出す ……… 1793年1月2日(寛政4年11月20日)
・酒田寛政5年の大火、幻の大火 ……… 1793年11月4日(寛永5年10月1日)
・江戸麹町の大火「桜田火事」をはじめ各町から一斉に出火
……… 1794年2月9日(寛政6年1月10日)
・沼津寛政7年の大火、またも季節の西風が炎を呼んだ
……… 1795年12月6日(寛政7年10月25日)
・江戸町奉行所、町火消各組に釣瓶(つるべ)と龍吐水を支給、民間の消防力強化を目指す
……… 1796年1月27日(寛政7年12月18日)
・江戸神田寛政9年佐久間町の大火「干しうどん屋の火事」
……… 1798年1月8日~9日(寛政9年11月22日~23日)
・鳥取寛政10年の大火「茶町火事」近来稀な大火なり ……… 1798年5月5日(寛政10年3月20日)
・高知享和2年の大火 ……… 1803年1月23日(享和2年12月30日)
・松本享和3年の大火「飴や火事」 ……… 1803年1月31日(享和3年1月9日)
・甲府享和3年の大火「鳥羽屋火事」 ……… 1803年5月23日(享和3年4月3日)
・江戸文化3年の大火「丙寅の大火」江戸三大大火の一つ
……… 1806年4月22日~23日(文化3年3月4日~5日)
・箱館(函館)文化3年の大火「青山火事」、大火後、箱館奉行は日月消防組を設置
……… 1806年11月14日(文化3年10月5日)
・丹波福知山文化4年の大火「五兵衛焼」城下を焼き尽くし周辺の村々に延焼
……… 1807年4月20日(文化4年3月13日)
・出羽庄内(鶴岡市)文化4年の大火「蓮台火事」 ……… 1807年5月15日(文化4年4月8日)
・駿府(駿河府中:静岡市)文化4年の大火、駿府史上最大の火災
……… 1808年1月17日(文化4年12月20日)
・江戸市ヶ谷文化8年谷町の大火、四谷御門外堀端の家々全焼
……… 1811年3月5日~6日(文化8年2月11日~12日)
・鳥取文化9年の大火「佐橋火事」 ……… 1812年8月18日(文化9年7月12日)
・土崎湊(秋田市) 文化11年の大火、全市域8割が被災
……… 1814年7月3日(文化11年5月16日)
・小田原文化14年の大火、城内外が炎に包まれ城下の8割を焼く
……… 1817年3月18日(文化14年2月1日)
・越後今町(上越市)文化15年の大火、街の8割燃える ……… 1818年4月9日(文化15年3月4日)
・福井文政元年の大火、橋南地域全焼 ……… 1818年8月12日(文政元年7月11日)
・山形文政2年の大火「和右衛門火事」城下の約3分の1が焼失か
……… 1819年6月19日(文政2年閏4月27日)
・越中高岡文政4年の大火、城内外とも被害甚大しかし加賀藩の事後処理は見事と
……… 1821年7月23日(文政4年6月24日)
・鹿児島文政5年の大火、城下の武家屋敷ことごとく焼失
……… 1822年2月21日~22日(文政5年1月30日~2月1日)
・酒田文政5年の大火 ……… 1823年1月(文政5年12月)
・飯田文政6年の大火 ……… 1824年1月23日(文政6年12月23日)
・米沢文政7年の大火「亥ノ子屋火事」 ……… 1824年5月17日(文政7年4月19日)
・徳島文政7年の大火、徳島城下史上最大の大火 ……… 1825年1月30日(文政7年12月12日)
・名古屋文政7年の大火「前津焼け」 ……… 1825年2月12日(文政7年12月25日)
・越後高田(上越市)文政8年の大火 ……… 1825年5月22日(文政8年4月5日)
・大坂文政10年の大火「道頓堀焼」芝居小屋焼く、人命救助でご褒美も
……… 1827年3月2日(文政10年2月5日)
・岩代若松(会津若松市)文政11年の大火 ……… 1828年5月16日(文政11年4月3日)
・江戸文政12年三大大火の一つ「己丑の大火」―大火後、13か条の火の元注意のお触れを出す
……… 1829年4月24日~25日(文政12年3月21日~22日)
・文政から天保へ改元、己丑の大火と文政京都地震による
……… 1831年1月23日(文政13年1月10日)
・神奈川宿(現・横浜市)天保2年の大火、1200軒余焼失し伝馬業務5日間ストップ
……… 1831 年3月13日(天保2年1月29日)
・富山天保2年の大火「浜田焼け」 ……… 1831年5月23日(天保2年4月12日)
・江戸天保5年の大火「甲午火事」 ……… 1834年3月16日~17日(天保5年2月7日~8日)
・大坂天保5年の大火「堂島焼」、大塩平八郎ら町人救済に活躍
……… 1834年8月15日~16日(天保5年7月11日~12日)
・金沢天保6年の大火 ……… 1835年4月8日(天保6年3月11日)
・大坂天保8年の大火「大塩焼:大塩平八郎の乱」-決起の檄文倒幕の志士を生む
……… 1837年3月25日~27日(天保8年2月19日~21日)
・大坂天保9年の大火「伊達町焼」 ……… 1838年4月26日(天保9年4月3日)
・長崎天保9年の大火、25か町、1400戸余焼失 ……… 1838年4月27日(天保9年4月4日)
・江戸日本橋天保9年小田原町の大火、仏壇の線香倒れ出火
……… 1838年5月10日(天保9年4月17日
・江戸牛込天保13年通寺町の大火、江戸城北の要地焦土と化す
……… 1842年4月17日(天保13年3月7日)
・越後今町(直江津:上越市)天保15年の大火、全町の97%が灰と化す
……… 1844年3月20日(天保15年2月2日)
・越後長岡天保15年の大火「俊治火事」 ……… 1844年11月22日(天保15年10月13日)
・天保から弘化へ改元、江戸城本丸炎上による ……… 1845年1月9日(天保15年12月2日)
・江戸青山弘化2年の大火「青山火事」……… 1845年3月2日(弘化2年1月24日)
・酒田弘化2年の大火「甘鯛火事」 ……… 1845年5月25日(弘化2年4月20日)
・鹿児島弘化2年の大火-復興で市区改正 ……… 1845年12月19日(弘化2年11月21日)
・江戸弘化3年の大火「小石川火事」……… 1846年2月10日~11日(弘化3年1月15日~16日)
・大坂弘化3年の大火「おちょぼ焼:天満焼」遊女おちょぼトイレに放火
……… 1846年12月20日~21日(弘化3年11月3日~4日)
・越後今町(上越市)弘化4年の大火「地震火事」 ……… 1847年5月13日(弘化4年3月29日)
・江戸麹町嘉永3年の大火、大名、武家屋敷に被害多く ……… 1850年3月18日(嘉永3年2月5日)
・大坂嘉永5年2月の大火「中船場焼け」同年最初の1000軒以上の大火
……… 1852年2月22日(嘉永5年2月3日)
・越前府中(越前市)嘉永5年の大火 ……… 1852年5月11日~12日(嘉永5年3月23日~24日
・大坂嘉永5年4月の大火「道頓堀焼」……… 1852年6月8日~9日(嘉永5年4月21日~22日)
・大坂嘉永5年11月の大火「南船場焼、丼池火事」……… 1852年12月29日(嘉永5年11月19日)
・大坂嘉永5年12月の大火「上町焼」……… 1853年1月14日~15日(嘉永5年12月5日~6日)
・若狭小浜嘉永6年の大火 ……… 1853年4月17日(嘉永6年3月10日)
・京都嘉永7年の大火「毛虫火事」御所の庭の木に毛虫いっぱい、それを焼いたのが原因?
……… 1854年5月2日~3日(嘉永7年4月6日~7日)
・福井嘉永7年の「塩町大火」 ……… 1854年7月7日(嘉永7年6月13日)
・蝦夷(北海道)松前嘉永7年の大火 ……… 1854年11月28日(嘉永7年10月9日)
・嘉永から安政へ改元、黒船来航、内裏炎上、大地震と災異多く
……… 1855年1月15日(嘉永7年11月27日)
・江戸神田安政元年多町の大火 ……… 1855年2月14日(安政元年12月28日)
・富山安政2年の大火 ……… 1855年4月15日(安政2年2月29日)
・和歌山安政2年の大火「万町放火火事」城下中心街を焼く
……… 1856年1月22日(安政2年2月15日)
・大坂安政3年の大火「西道頓堀火事」 ……… 1856年6月15日(安政3年5月13日)
・幕府、合薬座を設け火薬の販売統制に乗り出す、独占的入手狙うも10年後大政奉還
……… 1857年1月23日(安政3年12月28日)
・江戸日本橋安政5年の大火、12万4000余世帯焼く
……… 1858年3月24日~25日(安政5年2月10日~11日」)
・大坂安政5年道頓堀難波(なんば)新地焼、大坂随一の繁華街110町焼く
……… 1858年4月8日(安政5年2月25日)
・若狭小浜安政5年の大火 ……… 1858年10月5日(安政5年8月29日)
・江戸神田安政5年相生町の大火、火災旋風が起き避難させた家財道具を巻き上げる
……… 1858年12月19日(安政5年11月15日)
・江戸安政6年城東の大火、大名下屋敷から出火し小名(少録の大名)の屋敷数知れず焼く
……… 1859年3月26日(安政6年2月22日)
・青森安政6年の大火、町の9割以上が焼ける“前代未聞之大変”
……… 1859年6月21日(安政6年5月21日)
・安政から万延へ改元、本丸炎上と桜田門外での大老暗殺で
……… 1860年4月8日(安政7年3月18日)
・富山文久3年の大火「生地屋焼」-明治の防火水路建設の契機
……… 1863年3月31日~64年1月3日(文久3年2月13日~15日)
・大坂文久3年の大火「五幸町焼」……… 1863年12月31日(文久3年11月21日)
・出羽久保田(秋田市)元治元年の大火「座頭火事」……… 1864年4月17日(元治元年3月12日)
・米沢元治元年の大火「小森沢火事」……… 1864年5月11日(元治元年4月15日)
・京都禁門の変、兵火民家を襲う「元治の大火、どんどん焼け」
……… 1864年8月20日~22日(元治元年7月19日~21日)
・盛岡元治2年の大火 ……… 1865年3月4日(元治2年2月7日)
・松本元治2年の大火 ……… 1865年3月8日(元治2年2月11日)
・元治から慶応へ最後の災異改元 ……… 1865年5月1日(元治2年4月7日)
・会津若松慶応2年の大火「孫右衛門焼け」ほぼ3000戸焼失
……… 1866年9月16日(慶応2年8月8日)
・富山慶応2年の大火、1000余戸焼失 ……… 1866年9月28日(慶応2年8月20日)
・横浜慶応2年の大火「豚屋火事」-大火後近代都市へ大改造、繁栄への基礎築く
……… 1866年11月26日(慶応2年10月20日)
○本表の「明治時代から太平洋戦争終戦まで(戦前・戦中編)」及び「太平洋戦争終戦から10年前まで(戦後編)」は下記をクリックしてください。
・火災・戦災・爆発事故/明治時代から太平洋戦争終戦まで(戦前・戦中編)
・火災・戦災・爆発事故/太平洋戦争終戦から10年前まで(戦後編)
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(2024年4月・更新)