P2 1 防災立国推進閣僚会議(2024年12月20日)で発言する石破総理 640x350 - 「防災庁」設置に向けて<br>“真の防災立国”を

言葉を躍(おど)らせてはいけない
“防災立国”=防災主流化 国是に

首相「いかなる地域での災害でも、
被災者の方がたに尊厳ある生活を送っていただけるように」

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「 防災庁」2026年度中設置へ 政府「防災立国推進閣僚会議」発足
石破首相「成ろうことなら世界一の防災大国にする」
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P2 1 防災立国推進閣僚会議(2024年12月20日)で発言する石破総理 - 「防災庁」設置に向けて<br>“真の防災立国”を
防災立国推進閣僚会議(2024年12月20日)で発言する石破首相(首相官邸HPより)

 昨年末の12月20日、石破茂首相は、総理大臣官邸で第1回「防災立国推進閣僚会議」を開催、首相は冒頭挨拶で次のように述べた(要旨)。
 「世界有数の災害発生国であるわが国において、頻発する災害から国民の生命、身体、財産を守り抜くのは、国家の使命。被災して、絶望の淵(ふち)にある方がたに、暖かい手を差し伸べることができなければ、国家として責務を果たしているとは言えない。いかなる地域で災害が発生しても、被災者の方がたを苦難の中に置き続けることなく、尊厳ある生活を送っていただけるようにしなければならない。災害時に国家がなすべきことは、事前防災から、初動対応、復旧復興に至るまで、各部門の知恵を結集し、それぞれの取組みが連動して相乗効果を生むようにしなければならない。そのために計画的かつ戦略的に、防災・減災、国土強靱化の取組みを進めていく。政府一体となった災害対策を推進するため、防災立国推進閣僚会議を立ち上げる」

 石破首相はさらに「成ろうことなら世界一の防災大国にする。そして、わが国の防災の知恵や技術を海外に向けて発信したい。人命、人権最優先の防災立国を確立するため、各大臣が一致・尽力することをお願いする」と。

首相官邸:第1回「防災立国推進閣僚会議」 総理発言

 本紙は2018年9月30日付け(旧サイト)で「防災省 国率先で『防災わがこと化』を」と題して、当時の「防災省」創設論議について「持って回った“書きぶり”を超えて、真正面から防災省論議を」と訴えている。

防災情報新聞:沈静化する?「防災省」論議 国 率先で意識改革、「わがこと化」を

 その背景は、東日本大震災の教訓を踏まえて政府が検討していた“日本版FEMA”こと「緊急事態管理庁」の創設の是非が、2015年4月に「現段階では積極的な必要性は直ちには見い出しがたい」という“書きぶり”で見送られたことがある。“正論”部分も認めつつの“却下”だった。しかし、翌年の2016年熊本地震を経て再び防災省創設すべし、の論議が起こったのだ。以下、当時は厳密には「防災省」の是非論議で、「防災庁」についてではないことに留意のこと。

P2 2 近年の大規模災害と想定される大規模災害(内閣府資料より) - 「防災庁」設置に向けて<br>“真の防災立国”を
近年の大規模災害と想定される大規模災害(内閣府資料より)

 当時、総裁選で立候補した石破氏(防災省創設を主張)は、自身のブログ(2016年12月2日付け)で「現段階では積極的な必要性は直ちには見い出しがたい」との政府報告書の“書きぶり”を手厳しく批判、「日本の危機管理体制は、地域によってその能力にばらつきが大きいのが難点で、担当する各地域の職員を統一して教育し、組織相互に共通性のある通信・救援などの機材を揃えることなどを任務とする組織の創設は可能かつ必要」とし、「災害に平時から対応するために、専任の大臣やスタッフがいる能力の高い防災省をつくるべき」としていた。

P3 3 内閣府資料「危機管理担当部署職員の経験年数別割合」より - 「防災庁」設置に向けて<br>“真の防災立国”を
内閣府資料「危機管理担当部署職員の経験年数別割合」より

 本紙同号の記事は、次のように続く――これまでの災害対策を支えてきた“反・防災省”の論拠は詰まるところ、防災省創設について懐疑的あるいは反対の立場の同義の論調となる。それは主として「立てつけ論」、つまり“屋上屋を架す”的な、省庁間にまたがる機能が重複するという組織論的な否定論、あるいは行政改革に逆行、さらに極端な例では、現実的にむずかしいから“机上の空論”などの見解が多いように見受けられる。
 しかし――そうした否定論こそがこれまでの災害対策を支えてきたものであり、その限界が指摘され、それを抜本的に変えようというのが防災省創設の趣旨だ。わが国の「災害対策」は、災害が起こったあとの後追い対策であり続けてきた。起こった災害からの教訓を次の災害対策としてきた。それゆえ、災害ごとに新たな想定外が次つぎと起こり、災害対策基本法は見直しに見直しを重ねてきており、“弥縫策”との批判は根強い、と。

 また、わが国の防災基本計画は災害事象ごと(例:震災対策、風水害対策など)の計画だが、こうした縦割り計画では現実(被災者、被災地)とのギャップが大きく、流動的な事態の推移(想定外)に対応できず、実践的ではないとの批判がある。
 いっぽう、FEMA方式の、災害の種類ごとではなく「オールハザード」アプローチでは、災害対応の仕組み(国の関係機関の相互連携、情報管理の標準化や、研究者、自主防災、防災士、ボランティア、企業、学校、一般市民などの官学民連携の構築など)で防災計画をつくることで、被災者・被災地の視点に立った救援・支援が可能になるという。

P3 1 内閣府資料「緊急事態の主な分類」より - 「防災庁」設置に向けて<br>“真の防災立国”を
内閣府資料「緊急事態の主な分類」より
P3 2 政府の危機管理組織の在り方について(最終報告 概要/2015年3月30日) - 「防災庁」設置に向けて<br>“真の防災立国”を
政府の危機管理組織の在り方について(最終報告 概要/2015年3月30日)

 「防災地区計画」は、“地区”ごとのオールハザード計画として作成が進められれば、そのコンセプトに近いものとなる。要するに、災害対策がめざすものは、被災者・被災地に寄り添った計画・支援であり、国・行政からの一方通行的な計画・支援ではないということだ。

 いっぽう、経済合理性から災害リスクの高い地域に”住まざるを得ない(安全な場所に移転できない)”、あるいはそのような地域でこその宅地開発が行われる現実もある。また大都市圏の木造住宅密集地区に住む高齢者、そして耐震強度の実態・データが不明なまちなかの中小ビルで働く勤労者、さらには2000年以前の超高層ビル、とくに高層ビル化が一般化した1980年代から90年代の現行の地震動基準を満たしていない”超高層ビル”の耐震性や長周期地震動への疑念・懸念――とくに都市部を中心に、大地震での災害脆弱性が想定外を生む要因として指摘されている。

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「災害は資本主義の内から必然的に生じてくる」という「災害資本主義」

「社会-防災主義」と呼ぶべきものへとパラダイムシフト(枠組み変換)は可能か
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 近年、注目すべき論議が世界的規模で、かつ幅広い分野で地殻変動的に起こってきた。それは、「資本主義、民主主義、個人主義、自由主義の限界」をめぐる議論だ。それは災害・防災分野にも飛び火して、「災害は資本主義の内から必然的に生じてくる」という「災害資本主義」も唱えられている。資本主義システムには、過剰生産恐慌、労働者の生活悪化、公害と自然破壊、国家や金融機関の債務危機などの矛盾と危機が底深く含まれていて、自ら固有の「資本主義災害 Capitalist Disaster」を生むというのだ(カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの説)。
 阪神・淡路大震災と東日本大震災は、わが国の「災害」と「防災」の意識変革を鋭く迫ったのではなかったか。この2つの大災害は、災害の概念を「思いがけず受ける災い」から、「人間社会の脆弱性を狙い撃ちする災い」へと変えた。災害は資本主義の内から必然的に生じてくるという「災害資本主義」の証左でもあったのではないか。

P3 4 内閣府資料より「平成17年~平成26年 水害(河川)の発生状況」 - 「防災庁」設置に向けて<br>“真の防災立国”を
10年ほど前の資料、内閣府(防災担当)「市町村のための水害対応の手引き2016」より「水害(河川)の発生状況 2005年〜2014年」。2005年から2014年までの10年間に全国市町村の96%で1回以上の水害が発生しており、約半数の市町村で10回以上もの水害が発生した。一度も河川の氾濫などによる水害が起きていない市町村はわずか4%(68市町村)だった

 わが国の戦後歴代政権は「経済成長」を旗印に政権運営を行ってきたが、近年、少子高齢化を背景にデフレ経済から抜けられず、今日に至ってわが国の経済力は先進G7で最下位に落ち込んでいる。折しも前政権(岸田文雄首相)は「新しい資本主義」を基本理念として掲げ、「新しい資本主義実現会議」を立ち上げた。そこで本紙が注目したのは、わが国の資本主義の“本丸”とも言える経済団体連合会(経団連)の十倉(とくら)雅和・経団連会長から提出された資料に、「成長と分配の好循環」とともに、「社会的共通資本(*GX・DXの推進、危機管理対応等)の構築」があげられていたことだった。

 「社会的共通資本」とは、ノーベル経済学賞にもっとも近い日本人経済学者とされた故・宇沢弘文(1928-2014)が提唱した概念で、宇沢は「社会的共通資本」の例として、自然環境、社会インフラ、制度資本(教育、医療等)などをあげ、「社会的共通資本」は国家権力や市場論理に委ねるのではなく、“専門家たち”の手にまかせて運用すべきと主張した。

 論理的必然としてこのなかには、当然、「防災」も含まれてくる。この概念が経団連会長によって意識的・意図的に「新しい資本主義」検討会議に提案されたことは、これまでの資本主義(市場原理主義)からの経団連の発展的な決別の表明とも受けとめられ、成熟社会を迎えたわが国の新たな理念となり得るか注目された。
 こうした動きは防災分野での社会的共通資本の実現においては、むしろ「社会-防災主義」と呼ぶべきものへとパラダイムシフト(枠組み変換)が図られる可能性もある。石破政権が推し進めようという「防災立国」に、そうした展望が含まれるか、注目したい。

 ほぼ100年前に寺田寅彦が「災害対策は国防に値する」と喝破したように、災害対策は国民の命の保全にかかわる重要案件である。「100年以上の時を経てわれわれはいったいなにをしてきたのだろう?」――改めて国民的議論を促したい。

〈2025. 01. 04. by Bosai Plus

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