関東大震災100年 東京都「復興デジタルアーカイブ」公開
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●東京都、「復興デジタル・アーカイブ」を公開
「大震災被害編」「復興まちづくり編」「防災都市づくり編」で構成
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本年は1923(大正12)年に発生した関東大震災から100年の節目。本紙も通年で「関東大震災100年」企画をいろいろ打ち出してきた。本号ではその一環として、このほど東京都が公開した東京都「復興デジタルアーカイブ」を紹介するとともに、本紙提携紙「WEB防災情報新聞」より、山田征男氏(防災情報新聞特別編集委員)執筆・とりまとめによる「関東大震災100年特集/『周年災害』がひも解く大震災と防災/震災後の防災」から、「世界初の耐震基準登場」の背景について、記事を引用・転載してみる。
東京都は関東大震災から9月で100年となったことにあわせて、東京の大震災での被災から復興、そして今日の災害対策までを地図上で知ることができる「復興デジタルアーカイブ」を公開した。各時代の写真(歴史写真のカラー化は渡邉英徳東京大学教授が指導)や動画、資料を駆使して、現在の地域・場所と比較しながら、大災害の実相と復興の経緯を学び、これからの防災を考えるきっかけにしてほしいという趣旨。
デジタルアーカイブは「大震災の被害編」、「復興まちづくり編」、「防災都市づくり編」の3つに分かれている。地図に示されたアイコンをクリックすると、その場所の写真や動画が表示される構成で、画面右側には解説項目もあり、その詳細を知ることができる。
都は、首都直下地震や南海トラフ地震など大規模災害のリスクに直面していることから、「関東大震災の復興にあたった先人たちの精神を受け継ぎ、防災対策を加速させ、100年先の未来を見据えた『防災都市づくりのレベルアップ』を図りたいとしている。
・動画「関東大震災100年」〜100年先も安心を目指して〜
100年先の安心を目指す現在の防災都市づくりの取組を、映像で
・復興デジタルアーカイブ
各時代の地図をベースに100年の時を超えた東京の姿を写真、動画等で閲覧
・復興アーカイブ画像
歴史写真のカラー化(東京大学渡邉英徳教授からメッセージ付き)
ほかに「復興小公園の再生」など。
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●併載:『周年災害』より
震災後の防災〜世界初の建築物耐震基準登場の背景
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以下、本紙提携紙「WEB防災情報新聞」より、山田征男氏(防災情報新聞特別編集委員)執筆・とりまとめによる「関東大震災100年特集/『周年災害』がひも解く大震災と防災/震災後の防災」から、今回は「耐震基準」の項を引用・転載する。
なお、同記事全体は下記リンクから閲覧できる。
WEB防災情報新聞:関東大震災100年 特集/「周年災害」がひも解く大震災と防災
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関東大震災の被害を教訓に、発災翌年の1924(大正13)年6月に「市街地建築物法施行規則」の構造強度規定において、地震の建物に与えるエネルギー(地震力)に対する“構造強度”を規定した。これは国の法令として世界初、建築物の“耐震基準”として採用したもので、「同施行規則」は、1950年(昭和25年)5月公布の「建築基準法」の前身となっている。
その作業は、大震災後の復興を担った内務省復興局を中心に進められ、その際必要な被災実態調査に当たったのが、今村明恒を中心とした“震災予防調査会”で、耐震基準の理論的基礎となったのが、佐野利器(としたか)が1916(大正5)年10月に公表した「家屋耐震構造論」であった。
実はこれには訳があった。被災実態調査の際、不燃化、耐震化の実例として、明治末から大正時代(1910年〜1925年)にかけて導入された米国の建築技術に基づいた近代的な鉄筋コンクリートのビルディングの被災調査がなされた。しかし、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル以外は、完成したばかりの東京会館、日本郵船ビル、丸の内ビルなどは倒壊しなかったものの損壊が激しいことがわかり、施工中の内外ビルは完全に崩壊していた。
その反面、佐野利器に学んだ建築家による耐震壁を重要視した日本流の耐震配慮を盛り込んだ東京海上ビルは損傷がほとんどなく、施工中の歌舞伎座、日本興業ビルは何事もなく竣工を迎えている。
わが国の近代的耐震設計の歴史は、1891(明治24)年10月に起きたマグニチュード(M)8.4の濃尾地震から始まったとされる。この地震を契機に地震観測が整備され、翌1892(同25)年6月には天皇の勅命により震災予防調査会が発足、地震防災についての研究推進の出発点となり、とくに本格的な耐震構造についての研究がスタートした。中でも研究の中心は、国内で圧倒的多数となる木造建築物の耐震化研究と、この大地震でもろくも全壊したレンガ造り建築物の耐震化研究だったという。
1906年4月、米国サンフランシスコでM8.3の巨大地震が起こる。当時研究の最前線にいた地震学者の大森房吉、建築学者の中村達太郎、佐野利器の3名が同地へ派遣され現地調査を行った。その報告で鉄骨構造、鉄筋コンクリート構造のラーメン構造(柱や梁で建物を支える構造)が耐震的に優れているとされた。
佐野利器は、これらの調査研究を基に世界で初めての建築物の耐震設計理論「家屋耐震構造論」を1916(大正5)年10月発行の震災予防調査会報告第83号(甲)の中で一般に公表したが、佐野はこの論文で、耐震設計に必要な地震力(揺れ)の計算に“震度”という概念を提案、建物に作用する地震の時の水平力を、その建物自体の重さ(自重)に係数である震度をかけて定め、建物の各部分が安全であるように設計する方法を“震度法“と名付け、世界で初めての耐震設計法として提案した。
現在では静的震度法と呼ばれているが、この考え方が「市街地建築物法施行規則」の構造強度に採用され、“耐震基準”の先駆けとなった。
〈他項目の掲載も予定〉
〈2023. 10. 15. by Bosai Plus〉