【前書き】
「日本の災害・防災年表」は、「周年災害」でご紹介した日本人が被災した災害や特異な災害、または政策・法令を変えた災害及び防災対策などを、次の7種・12表の災害分類にまとめています。
・人為事故・防犯・その他編
掲載基準は、原則として死亡者+行方不明者100人以上(海外での日本人死亡者10人以上)、死傷者、感染患者1000人以上、全壊・焼失・流失家屋(住家)1000棟(軒)または1000世帯(かまど、戸)以上、床上浸水家屋(住家)5000棟(軒)または5000世帯(かまど、戸)以上などの大災害を選び出して掲載。
1. 災害・防災年表各編内の災害・防災対策をクリックすると掲載月の記事にリンク全文が読めます。
2.本文中の年月日は太陽暦(グレゴリオ暦)かっこ内年月日は太陰暦=その時代の年号と暦日です。
なお、太陽暦の使用開始は1872年(明治5年)12月3日からで、この日が明治6年1月1日です。
3. 年号の適用は、明治改元の時に定められた「改元の年の1月1日にさかのぼり適用する」ことは せず、改元の前日までは前年の元号です。
4.災害名は混在しないよう通称または気象庁及び中央防災会議での公認名称のない場合は、火山噴火と火災の場合を除き、原則として元号(年)+被災地+災害名です。
5.災害名は、表現の統一及び類似のものと年表上差別化が必要なため、年表上とリンク先の掲載当時の見出しの名称とが若干異なることがあります。
■「人為事故・防犯・その他」
当年表は2005年4月~2021、2022年4 月の「周年災害」及び「周年災害・追補版」の掲載記事より作成されています。
災害名等にポインターを当てクリックすると掲載ページ(各月)にリンクし、全文が読めます。
〇古代から安土桃山時代まで(~1600年)
・ハレー彗星出現、歴史書に残る最初の記録 ……… 684年9月10日(天武13年7月23日)
・大宝令完成し公布、天皇中心の中央集権国家体制が法的に整備される
……… 700年4月18日(文武4年3月21日)
・大宝律完成、わが国初の刑法典なる ……… 701年9月13日(大宝元年8月3日)
・東大寺大仏鍍金作業開始、水銀中毒発生 ……… 752年4月6日(天平勝宝4年3月14日)
・検非違使(けびいし)平安京治安維持のため初めて設置される ……… 816年3月(弘仁7年2月)
・初の検非違使別当に文室秋津(ふんやのあきつ)が任じられる
……… 834年3月14日(承和元年1月27日)
・永延から永祚に改元、ハレー彗星出現による ……… 989年9月15日(永延3年8月8日)
・太政官、盗賊横行に対し京都市中の辻々に“道守屋”設置命じる-交番の発祥
……… 925年6月28日(延長3年5月30日)
・御成敗式目(貞永式目)制定、はじめて武士による武士のための法律成る
……… 1232年8月27日(貞永元年8月10日)
・幕府、京都市中治安維持のため篝屋(かがりや)設置-現在の交番へと続く
……… 1238年8月7日(嘉禎4年6月19日)
・幕府、鎌倉市中にも防犯のため篝屋(かがりや)を設置し住民に勤務させる
……… 1241年1月11日(仁治元年11月21日)
・幕府、夜の防犯のため全民家に松明を置かせる ……… 1245年7月9日(寛元3年6月7日)
・京都四条河原勧進田楽の桟敷席倒壊事故。100人余死亡
……… 1349年7月5日(貞和5年6月11日)
・京都、女猿楽興行で喧嘩から死傷者多数-事件後僧侶の見物禁止に
……… 1436年7月17日(永享8年閏5月24日)
・大坂で千人斬り事件横行、犯人は梅毒感染者か?禁止高札掲げるも効果なし
……… 1586年4月9日(天正14年2月21日)
○江戸時代(~1867年)
・幕府、江戸武家屋敷街に辻番所設置、辻斬り対策で挙動不審者を逮捕させる
……… 1629年5月(寛永6年3月)
・幕府、町木戸設置させ辻番と後の自身番と共に治安強化はかる、平安時代“釘貫門”が発祥か
……… 1629年5月(寛永6年3月)
・幕府、大番、書院番、小姓組番の番衆に初の夜廻り(市中巡回)仰せつけ、市中警備(防火)体制整備
のちに昼間も巡回し、その職務は火災後の対応から江戸城の防火役まで次々と拡大
……… 1629年11月29日(寛永6年10月7日)
・幕府、海運の発展に対応、浦々高札を建て難破船の処置について布達
……… 1636年9月1日(寛永13年8月2日)
・江戸町奉行、将軍世子(世継)家綱日光社参に際し、治安強化策として中番を置く、
後に季節的防火要員として制度化 ……… 1649年5月21日(慶安2年4月10日)
・幕府、辻番所を江戸市中と近郊の武家地に増設させる ……… 1645年9月24日(正保2年8月5日)
・将軍日光社参に際し、町人たちに町の防火・警備について初のお触れ、大名火消も強化
……… 1648年6月1日(慶安元年4月10日)
・大坂町奉行所、自身番当番免除及び代理を出す人々を指示、代行の風潮に歯止め期待、
江戸より早い自身番の記録 ……… 1649年1月28日(慶安元年12月16日)
・江戸町奉行、将軍世子(世継)家綱日光社参に際し、治安強化策として中番を置く、
後に季節的防火要員として制度化 ……… 1649年5月21日(慶安2年4月10日)
・江戸町奉行、町中の橋の上、橋のたもと、街角での商売を禁じる
……… 1649年8月19日(慶安2年7月12日)
・江戸町奉行、市中町方の夜番(火の番見廻り)に対する管理を強め防災体制強化
-後に増番、中番、屋根番、火の見やぐら番へと火の番役を増やす
……… 1649年11月20日(慶安2年10月6日)
・江戸町奉行、家持町人に自身番所設置を命じる。後の町火消制度の原動力に
4年半ほど前に家持町人に最初の自身番役すでに指示か
……… 1652年1月11日(慶安4年12月1日)
・幕府「江戸町中定」を公布し犯罪などを処分-90年後「公事方御定書」に集大成
……… 1655年11月10日(明暦元年10月13日)
・江戸町奉行、町の治安維持強化のお触れ、自身番への治安分担多く町人の負担増える
……… 1658年8月8日(明暦4年7月10日)
・幕府、旗本・御家人に防火の心得布令。江戸の防火に武家も総出、不審者に対する捕縛も、
後に同心たちに逮捕権を与えた夜廻り専任化、更に火付盗賊改役設置へ
……… 1658年11月22日(万治元年10月27日)
・幕府、町奉行支配区域拡大で同心増員 ……… 1662年12月10日(寛文2年10月30日)
・幕府、辻番所制規を示達 ……… 1663年4月(寛文3年3月)
・幕府、火付盗賊改役を設ける ……… 1665年11月(寛文5年10月)
・幕府、辻番規定を改定し衛生管理も職務に-明治時代の防疫活動へ継承
……… 1683年3月27日(天和3年2月29日)
・幕府、牛車・大八車に生類見張り(宰領)の令 ……… 1690年11月23日(元録3年10月23日)
・江戸町奉行、わが国初の駐車制限令(お触れ)出す ……… 1708年8月(宝永5年7月)
・幕府、初の交通事故処罰令公布、わが国交通政策史上画期的な内容
……… 1716年5月27日(正徳6年4月7日)
・幕府、家庭用救急医療書を出版 ……… 1730年4月3日(享保15年2月16日)
・幕府基本法典「公事方御定書」編さんされ3奉行褒章される、交通事故、失火に対して厳罰
……… 1742年5月10日(寛保2年4月6日)
・熊本藩「御刑法草書」施行-革新的な内容で諸藩法改革の模範になり後の明治近代刑法の基になる
……… 1755年5月(宝暦5年4月)
・川口善光寺参詣の渡し船転覆、負傷者多数 ……… 1794年4月(寛政6年3月)
・文化4年永代橋崩落事故、祭礼の大群衆で ……… 1807年9月20日(文化4年8月19日)
〇明治時代から太平洋戦争終戦まで(1868年~1945年)
・日本初の近代的灯台、観音埼灯台着工-灯台記念日に
……… 1868年11月1日(明治元年9月17日)
・浮標(プイ)が初めて東京湾富津州西端に配置される ……… 1869年3月20日(明治2年2月8日)
・本牧沖に初の近代的灯台船、夜間入港の道しるべに浮かべる。不平等条約の思わぬ成果
……… 1869年12月21日(明治2年11月19日)
・東京府、西洋のポリス制度を参考に邏卒(らそつ:警察官)制度採用、取締所(警察署)設置
……… 1872年1月3日(明治4年11月23日)
・司法省、違式詿違(かいい)条例で事故防止などはかる
……… 1872年12月13日(明治5年11月13日)
・内務省、東京警視庁創設次いで消防章程を制定、かつて町火消の消防組員ようやく落ち着いて活動
……… 1874年(明治7年)1月9日~28日
・太政官、マニュアルのような海上衝突予防規則を布告 ……… 1874年(明治7年)1月18日
・東京警視庁、電信を初めて架設し緊急連絡に活用 ……… 1874年(明治7年)8月7日
・医制発布され近代的医事衛生制度発足、初の法定伝染病の指定と届出及び予防法の公的指示
……… 1874年(明治7年)8月18日
・初の鉄道運転上の事故、東京新橋駅構内で列車と貨車脱線転覆 ……… 1874年(明治7年)9月11日
・内国船難破及ヒ漂流物取扱規則布告 ……… 1875年(明治8年)4月24日
・大阪丸が名古屋丸と衝突沈没し臨時裁判所を設け初の海難審判
……… 1875年(明治8年)12月25日
・西洋型商船船長運転手及機関手試験免状規則公布、海難根絶に向けて
……… 1876年(明治9年)6月6日
・太政官、難破船等に対応する浦役場の設置令達 ……… 1876年(明治9年)12月21日
・大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)印刷工場内に医員を置く、企業内医療機関のはじめ
……… 1877年(明治10年)7月2日
・初の鉄道死亡事故-事故区間も票券閉鎖方式採用へ ……… 1877年(明治10年)10月1日
・わが国最初の損害保険会社、東京海上保険会社に設立認可 ……… 1879年(明治12年)7月30日
・備荒儲畜(びこうちょちく)法制定、国の指示による共助の被災者援助政策
……… 1880年(明治13年)6月15日
・刑法(旧刑法:明治15年刑法)治罪法公布。仏刑法典を参考に近代的原則盛り込むも保守派反撃
……… 1880年(明治13年)7月17日
・初の船舶検査制度「小形旅客汽船取締心得書」制定、海難防止目指す
……… 1880年(明治13年)11月29日
・馬車取締規則制定で安全条項充実 ……… 1880年(明治13年)12月15日
・東京大森駅構内で旅客列車が脱線転覆し、最初の旅客死亡事故起きる
……… 1885年(明治18年)10月1日
・政府、赤十字条約に調印、博愛社は社名を日本赤十字社に改称し国際赤十字へ加盟
……… 1886年(明治19年)6月5日
・ノルマントン号沈没「日本人乗客見殺し事件」-不平等条約改正への世論高まる
……… 1886年(明治19年)10月24日
・新造の最新鋭巡洋艦畝傍行方不明、南シナ海で暴風雨に遭遇か-流行語になる
……… 1886年(明治19年)12月
・警視庁で科学的な諸検査開始。元土佐藩士の警視総監田中光顕、暗殺現場確認の体験生かす
……… 1890年(明治23年)6月30日
・先駆的な労働者保護規定「鉱業条例」公布、新聞による鉱夫虐待事例報道が社会問題化し
……… 1890年(明治23年)9月26日
・「教育勅語」発布。時の支配層により拡大解釈され神格化された戦前日本の教育の最高規範書。
男性中心家父長制を法的に整備させ、国民を戦争に駆り立て国を滅ぼした思想的基盤となる
……… 1890年(明治23年)10月30日
・旅客船瓊江(たまえ)丸衝突沈没事件 ……… 1891年(明治24年)7月11日
・田中正造、足尾鉱毒問題で政府に初の質問書提出し議会でも追及
……… 1891年(明治24年)12月17日、25日
・東京警視庁が警察署と消防署へ非常報知機設置し通信機能整備
……… 1891年(明治24年)12月28日
・灯浮標(挂灯浮標)第三海堡建設に応じて初めて東京湾に浮かぶ
……… 1892年(明治25年)9月29日
・新鋭水雷砲艦千島をイギリス商船に衝突沈没され、国内世論激高-懸案の不平等条約を改正
……… 1892年(明治25年)11月30日
・別子銅山惣開(そうびらき)製錬所煙害問題起きる ……… 1893年(明治26年)9月
・海難の責任を船員等に問う、海員懲戒法制定 ……… 1896年(明治29年)4月7日
・明治29年梅雨前線豪雨「信濃川横田切れ、東日本大水害」足尾鉱毒土砂流れ稲に被害
-田中正造反対運動の組織化に着手 ……… 1896年(明治29年)7月20日~23日
・足尾鉱毒被害民、大会を開き鉱業停止運動始まる ……… 1896年(明治29年)8月
・明治29年9月秋雨前線+台風、琵琶湖/淀川、木曽川、利根川水系氾らん、
足尾鉱毒関東一円に拡大 ……… 1896年(明治29年)9月3日~16日
・足尾鉱毒被害民、両岸被害村一致の大集会開き鉱業停止請願運動始まる
……… 1896年(明治29年)11月29日
・足尾銅山鉱毒被害者、初の大挙押し出し(集団請願行動)敢行 ……… 1897年(明治30年)3月3日
・長崎県三菱高島炭坑瑞島坑で坑夫が坑内の漏水防止を要求しわが国初のストライキ
-納屋頭請負制度廃止へ、廃止の背景に「高島炭鉱問題」 ……… 1897年(明治30年)4月13日
・三菱生野鉱山で共済組合病院、わが国初の労働者共済組織の病院設置される
……… 1897年(明治30年)5月4日
・両国の川開きで両国橋欄干崩落事故-木の橋から鉄の橋へ ……… 1897年(明治30年)8月10日
・海難対策は船舶運航の安全と海員の身分保障にありと船員法公布、現在に至る近代的な法規誕生
……… 1899年(明治32年)3月8日
・水難救護法公布、江戸時代の浦々高札を近代法に衣替え ……… 1899年(明治32年)3月29日
・警視庁、制札例文例で統一道路標識を管内に通達、交通関係統一法令の原典に後に法的裏付けも
……… 1899年(明治32年)6月
・布引丸事件、フィリッピンへの武器密輸とアメリカ政府が抗議
……… 1899年(明治32年)7月21日
・光明寺村織物工場女工焼死事件、農商務省調査報告書は記録 ……… 1900年(明治33年)1月23日
・川俣事件、足尾銅山鉱毒被害民が警官隊と衝突、田中正造政府を追求
……… 1900年(明治33年)2月13日、15日、17日
・道路取締規則制定、左側通行決まる。警視庁PRに奮闘、ただし最初の公的規定は1872年東京府
……… 1900年(明治33年)6月21日
・青函連絡船・東海丸、ロシア船と衝突沈没、久田船長の自己犠牲
……… 1903年(明治36年)10月29日
・日露戦争帰還兵乗船の金城丸、イギリス汽船バラロングと衝突沈没
……… 1905年(明治38年)8月22日
・日露戦争講和反対全国大会、参加群衆暴徒化し東京市戒厳令 ……… 1905年(明治38年)9月5日
・旅客船陸奥丸、貨物船秀吉丸に衝突し沈没 ……… 1908年(明治41年)3月23日
・犯人指紋検挙法制定-指紋による個人識別法発見は日本の拇印の習慣から
……… 1908年(明治41年)10月1日
・鎌倉七里ヶ浜沖ボート遭難事故-唄い継がれる「真白き富士の根」。
美しい唄の裏に隠された警告を無視した定員超過の船出 ……… 1910年(明治43年)1月23日
・第六潜水艇沈没事故。佐久間艇長、日本国民の鑑として小学校の道徳教科書に載る
……… 1910年(明治43年)4月15日
・定期客船鉄嶺丸座礁沈没事故 ……… 1910年(明治43年)7月22日
・警視庁鑑識係設置、指紋鑑定による犯人捜査へ、誤認逮捕なくなる
……… 1911年(明治44年)4月1日
・東京警視庁、初めて警察犬を採用 ……… 1912年(大正元年)12月1日
・小田川全之、足尾鉱業所でわが国最初の産業安全運動展開 ……… 1913年(大正2年)5月
・駿河湾汽船愛鷹丸、定員超過の上強風により横転沈没 ……… 1914年(大正3年)1月5日
・宇部・東見初(ひがしみぞめ)炭鉱浸水事故 ……… 1915年(大正4年)4月12日
・定期客船大仁丸、汕頭(スワトウ)沖で衝突沈没事故 ……… 1916年(大正5年)2月2日
・わが国初の体系的な労働者保護法規「工場法」骨抜きされようやく施行
……… 1916年(大正5年)9月1日
・安全第一協会設立総会開く、日本で初めての安全運動団体誕生 ……… 1917年(大正6年)4月3日
・岡山県で民生委員制度の前身、済世顧問制度誕生。個人の救済に止まらず地域を豊かに
-高齢化時代を迎え、地域福祉の担い手に成長 ……… 1917年(大正6年)5月12日
・東京警視庁、スピード違反自動車の取締・指導にバイク隊発足 ……… 1918年(大正7年)1月1日
・自動車の広域利用広まり、内務省、全国統一の交通法規、自動車取締令制定
……… 1919年(大正8年)1月11日
・後藤七郎と塩田廣重、先人のさまざまな試みと失敗を糧に、日本で最初の近代的輸血に成功
……… 1919年(大正8年)2月、6月
・初の災害防止展覧会開催、安全週間も初めて挙行 ……… 1919年(大正8年)5月4日~7月10日
・特設消防署規定公布、まず4大都市に次いで戦時下の最重要都市に官設常備消防を設置
……… 1919年(大正8年)7月16日
・警視庁、交差点で挙手の合図による交通整理はじめる-信号標板も検討……… 1919年(大正8年)9月15日
・警視庁消防部、携帯用消防電話を開発設置し、現場の消防隊から直接に応援出場要請可能に
-消防無線に受け継がれた発想 ……… 1919年(大正8年)12月4日
・警視庁大平警察署、管内に初めて横断歩道を設置“成績すこぶる良好”
……… 1920年(大正9年)1月
・国産初の公衆用火災(盗難)報知機設置、東京報知機の誕生 ……… 1920年(大正9年)4月16日
・道路取締令制定、左側通行全国的に制度化される。首都東京より20年遅れて
……… 1920年(大正9年)12月16日
・健康保険法公布、社会保険制度始まる ……… 1922年(大正11年)4月22日
・全国的に統一様式の道路警戒標及道路方向標に関する件公布即日施行
……… 1922年(大正11年)11月9日
・陪審法成立。大正デモクラシー下、民意の司法への反映を期待
……… 1923年(大正12年)4月18日
・大正12年関東地震「関東大震災」治安機関によるテロ起こる ……… 1923年(大正12年)9月1日
・東京帝大セツルメント、関東大震災の救援活動の中から誕生 ……… 1924年(大正13年)6月10日
・治安維持法、普通選挙法と引き替えに公布-国体変革主義者の取締りから国体護持目的へ変貌
……… 1925年(大正14年)4月22日
・東京警視庁消防部、電話自動交換システム導入で世界初、火災通報専用番号採用、
但し誤接続発生-119番採用へ ……… 1926年(大正15年)1月20日
・大正15年山陽線特急列車、豪雨で築堤崩壊され脱線転覆、車体の鋼製化、機関車の大型化早まる
……… 1926年(大正15年)9月23日
・美保の関事件。無灯火訓練中、巡洋艦が駆逐艦に多重衝突、背景に海軍軍縮条約
……… 1927年(昭和2年)8月24日
・東京で消防緊急通報ナンバー“119番”誕生、横浜市でも同年に誕生
……… 1927年(昭和2年)10月1日
・初の全国安全週間開く、わが国独自に戦争中も戦後もとぎれなく続く
……… 1928年(昭和3年)7月2日~7日
・生活保護法の前身、救護法公布―世界恐慌始まり施行は3年後 ……… 1929年(昭和4年)4月2日
・改正工場法施行。資本家・企業主またもや猛反対、1923年公布するも実施は6年後
……… 1929年(昭和4年)7月1日
・自動交通整理信号機、帝都復興祭を機に東京日比谷交差点に初めて設置
……… 1930年(昭和5年)3月23日
・汽船第一わかと丸転覆事件-若戸大橋建設へ ……… 1930年(昭和5年)4月2日
・麻薬取締規則公布、麻薬の製造、輸出入、販売などを管理 ……… 1930(昭和5年)5月19日
・蟹工船エトロフ丸漁夫虐待・虐殺事件。弱小地方資本による無理な操業の末
……… 1930年(昭和5年)6月5日
・初の総合防災訓練で“非常時火災警防演習”実施-防護団設立へ
……… 1930年(昭和5年)9月1日
・国産の側柱式自動交通整理信号機第1号機、京都駅前に設置され標準仕様となり各都市に普及
……… 1930年(昭和5年)12月
・東京市連合防護団が結団され防空消防の時代へ ……… 1932年(昭和7年)9月1日
・第1回全国産業安全大会開催 ……… 1932年(昭和7年)11月21日~23日
・駆逐艦早蕨(さわらび)転覆沈没事故 ……… 1932年(昭和7年)12月5日
・日本赤十字社大阪支部、国内初救急自動車運用による国際的な救急搬送システム実施
……… 1932年(昭和7年)3月1日
・神奈川県警察部、横浜市に消防機関初の救急自動車配置 ……… 1933年(昭和8年)3月13日
・船舶安全法公布、従来の関係法令を整理統合し国際条約に準じ規定
……… 1933年(昭和8年)3月15日
・神田消防署後援会、警視庁消防部へ救助車、救助用具一式を寄贈-専任救助隊設置へ
……… 1933年(昭和8年)6月10日
・水雷艇友鶴、過重装備のため転覆 ……… 1934年(昭和9年)3月12日
・1号国道(現・国道15号:第一京浜国道)梅屋敷前、
六郷郵便局前両交差点に押しボタン式信号機はじめて設置 ……… 1934年(昭和9年)6月11日
・定期客船みどり丸衝突沈没事件 ……… 1935年(昭和10年)7月3日
・第四艦隊事件(軍艦の激浪切断事件)-各艦艇の強度を徹底補強
……… 1935年(昭和10年)9月26日
・警視庁消防部、民間の寄付を得てようやく救急業務開始、救急要請電話番号も119番、
交通事故、工場災害の急増に対応 ……… 1936年(昭和11年)1月20日
・三菱鉱業尾去沢鉱山、中沢鉱滓堆積場扞止堤(中沢ダム)崩壊 ……… 1936年(昭和11年)11月20日
・大牟田爆発赤痢事件、疑惑の化学工場爆発事故、塚本メモ市政のぬれ衣晴らす
……… 1937年(昭和12年)9月25日
・保健所法公布、軍部の健兵健民政策を乗りこえ国民の衛生向上と健康増進を目指す
……… 1937年(昭和12年)4月5日
・厚生省、軍部の強い提唱で内務省から分離独立-戦後、労働省が分離独立するが、
中央省庁再編に伴い再統合 ……… 1938年(昭和13年)1月11日
・国民健康保険法公布、国民皆保険制へ第一歩 ……… 1938年(昭和13年)4月1日
・羽田上空、民間航空機初の衝突事故、70人死亡の惨事に ……… 1938年(昭和13年)8月24日
・突然の防空訓練で京浜電気鉄道追突事故 ……… 1938年(昭和13年)9月15日
・昭和13年黒部渓谷志合谷淡雪崩、戦時体制下無謀な越冬作業中に起きた惨劇
……… 1938年(昭和13年)12月27日
・保安設備、要員の不足を精神力で補わせた無謀な採炭の果てに
……… 1939年(昭和14年)1月21日
・警防団発足、防護団、消防組と統一した住民による自衛防空・防火組織。滅私奉公の教えの下、
住民を戦争に協力するよう指導、劣悪な装備で空襲に立ち向かい、殉職者多数出す
……… 1939年(昭和14年)1月24日
・伊号第六十三潜水艦衝突沈没事故、僚艦が船灯を見誤る?……… 1939年(昭和14年)2月2日
・大阪西成線ガソリン動力列車脱線炎上、鉄道史上死亡者数最多の事故、
戦時体制下における過密ダイヤが背景に、動力のディーゼル化進む
……… 1940年(昭和15年)1月29日
・伊号第六十七潜水艦、浸水沈没事故、原因は後部昇降口(ハッチ)の閉め遅れか
……… 1940年(昭和15年)8月29日
・北海道幌内ダム決壊事故 ……… 1941年(昭和16年)6月7日
・山陽線網干駅構内列車追突事故-橙信号で速度制限規定へ ……… 1941年(昭和16年)9月16日
・産業安全研究所を厚生省が設立、戦時体制下労働災害等による生産性低下を防ぐ研究
……… 1942年(昭和17年)1月30日
・宇部長生炭坑浸水事故「水非常」強制連行の朝鮮人炭鉱夫(徴用工)80数名犠牲に
……… 1942年(昭和17年)2月3日
・旅客船浦戸丸、貨物船聖山丸に衝突沈没 ……… 1943年(昭和18年)7月15日
・常磐線土浦駅構内列車三重衝突事故、事故の隠蔽が三河島駅事故起こす
……… 1943年(昭和18年)10月26日
・垂水汽船旅客船第六垂水丸、過剰積載で横転沈没 ……… 1944年(昭和19年)2月6日
・伊号第十三潜水艦、浸水沈没事故 ……… 1944年(昭和19年)6月13日
・連絡船近海丸、定員の4倍乗せ激浪のため転覆沈没、これも戦争の犠牲
……… 1944年(昭和19年)12月24日
・W型戦時標準船第五青函丸沈没事故、軍部の横やりで船体脆弱化
……… 1945年(昭和20年)3月6日
・国策、満州開拓団終戦時の悲劇 ……… 1945年(昭和20年)8月
・麻山事件、満州開拓団の集団自決 ……… 1945年(昭和20年)8月12日
〇太平洋戦争終戦から10年前まで(1945年~)
・国鉄(現・JR)八高線、多摩川鉄橋上り列車正面衝突事故 ……… 1945年(昭和20年)8月24日
・餓死対策国民大会開く、この頃大都会で餓死者続出 ……… 1945年(昭和20年)11月1日
・瀬戸内海汽船第十東予丸転覆沈没事故 ……… 1945年(昭和20年)11月6日
・盛運汽船天光丸傾斜沈没事故 ……… 1945年(昭和20年)11月7日
・連絡船せきれい丸転覆沈没事故-明石海峡大橋着工へ ……… 1945年(昭和20年)12月9日
・通化事件(二・三事件)、蜂起した日本人を鎮圧、朝鮮植民地化に対する復讐行為も
……… 1946年(昭和21年)2月3日
・巡航客船金華丸沈没事故、定員超過と雨を避けようと乗船位置の偏りで
……… 1946年(昭和21年)3月23日
・厚生省が主唱し戦後初めての全国安全週間開く、食糧事情を考慮し10月開催に
……… 1946年(昭和21年)10月1日~7日
・国鉄八高線列車脱線転覆事故-裁判で無罪、車体の鋼製化へ ……… 1947年(昭和22年)2月25日
・労働基準法公布。ILO条約を参考に原案作成、事業主団体、労働組合から意見を聴取
連合国総司令部(GHQ)からの示唆一切なしで ……… 1947年(昭和22年)4月7日
・消防団令公布、警防団を廃止し消防組を復活-消防団のおかれた現状、東日本大震災で
……… 1947年(昭和22年)5月1日
・災害救助法制定、救助活動の全般的規定設ける ……… 1947年(昭和22年)10月16日
・道路交通取締法制定-交通事故防止に重点化し改正 ……… 1947年(昭和22年)11月8日
・海難審判法公布、新憲法に基づき海員の基本的人権を踏まえた法律に改正
……… 1947年(昭和22年)11月29日
・警察法公布、内務省解体され市町村自治体警察誕生-ただし僅か7年後、新法に代わり消滅、
警察庁の登場で内務省警保局再生 ……… 1947年(昭和22年)12月17日
・消防組織法制定され自治体消防発足-施行の日が消防記念日に
……… 1947年(昭和22年)12月23日
・寿産院事件、乳幼児大量殺人とサギ、貧しさ故の保育依頼、児童福祉法制定前の悲劇
-事件後、経済的理由による妊娠中絶も可能に。しかし70年経った今
……… 1948年(昭和23年)1月15日
・海上保安庁発足-初の庁旗掲揚の日を“海上保安の日”に ……… 1948年(昭和23年)5月1日
・昭和23年(1948)福井地震-震度7規定、建築基準法、地方公安条例を新たに制定
……… 1948年(昭和23年)6月28日
・消防法公布、消防が火災予防に強力な権限と任務もつ、取締予防主義から脱皮
……… 1948年(昭和23年)7月24日
・八大都市の警察で警察通報用電話(110番)スタート、ただし最初は番号がバラバラ
……… 1948年(昭和23年)10月1日
・全国交通安全週間始まる-自動車の普及・交通事故の増加を受け政府主催に
……… 1948年(昭和23年)12月10日~16日
・東京消防庁、通信指令室設置、緊急通報受付と出動指令を本署で一本化
……… 1949年(昭和24年)3月31日
・三鷹事件(駅構内列車暴走事件)、共同謀議の犯行か、電車自走事故か?アメリカによる謀略か?
……… 1949年(昭和24年)7月15日
・松川事件(旅客列車脱線転覆事件)、労働運動を切り崩したえん罪事件
……… 1949年(昭和24年)8月17日
・初の全国労働衛生週間開催、働く人の生活全体の環境改善、健康増進などを課題に
……… 1950年(昭和25年)10月1日~7日
・東京消防庁、消防無線車初の運用開始 ……… 1950年(昭和25年)11月8日
・桜木町事件「六三型電車炎上事件、
戦時中の資材不足を反映した人命無視車両の悲劇 ……… 1951年(昭和26年)4月24日
・日本航空もく星号墜落事故-日本の空占領下の悲劇、
今も続く占領「橫田空域」日本経済を抑止 ……… 1952年(昭和27年)4月9日
・第1回全国労働衛生大会開催、全国労働衛生管理協議会発足-全国労働衛生協会創立へ
……… 1954年(昭和29年)10月14日~15日
・登山用ナイロンザイル切断事件、井上靖「氷壁」創作-地方山岳会の長き闘い、
消費生活用製品安全法制定へ、世界初ザイル安全基準も ……… 1955年(昭和30年)1月2日
・宇高連絡船紫雲丸衝突沈没事件 ……… 1955年(昭和30年)5月11日
・東京杉並区内に視覚障害者用音響装置付信号機を初めて設置 ……… 1955年(昭和30年)9月
・弥彦神社初詣群衆なだれ事件、警察は警備責任問われず ……… 1956年(昭和31年)1月1日
・海岸法公布、海岸を自然災害、人的破壊から護る防災法 ……… 1956年(昭和31年)5月12日
・ペニシリンショック死事件、野放しな使われ方に問題が ……… 1956年(昭和31年)5月15日
・観光船第五北川丸沈没事件、定員3倍強の旅客を載せ船底を岩礁にこすり沈没
……… 1957年(昭和32年)4月12日
・南海汽船旅客船南海丸遭難事件、多方面にわたる調査をしたが遭難発生原因不明
……… 1958年(昭和33年)1月26日
・産業災害防止総合5か年計画に基づく第一次労働災害防止計画を閣了解
-全国安全会議の創立と労働災害防止団体法の成立 ……… 1958年(昭和33年)8月8日
・日本海難防止協会設立-海難防止から海洋汚染対策まで解決策を研究提言
……… 1958年(昭和33年)9月8日
・消防法を改正し、危険物規制を法制化 ……… 1959年(昭和34年)4月1日
・沖縄、宮森小学校ジェット機墜落事件 ……… 1959年(昭和34年)6月30日
・火薬積載トラック衝突・爆発事故、走る火薬庫に居眠り砂利トラが追突、罰せられたのは被害者、
ずさんな法改正で危険は今も去らず ……… 1959年(昭和34年)12月11日
・国民安全の日を閣議了解、国民に安全への反省と自主努力を促す運動の日として創設
……… 1960年(昭和35年)5月6日
・安保闘争デモ隊国会議事堂前で警官隊と衝突、
軍事協力をうたった新安保条約に“戦争反対”の叫び高まる。
東大生樺美智子さん警官隊に虐殺ー54年後自民党安倍政権“集団的自衛権行使容認”を閣議決定
……… 1960年(昭和35年)6月15日
・防災の日を閣議了解、防災への意識強化が目的 ……… 1960年(昭和35年)6月17日
・交通戦争始まる-新・道路交通法施行。事故件数最高時の32%、死亡者も最高時の16%に激減
……… 1960年(昭和35年)12月20日
・初の総合防災対策法「災害対策基本法」公布 ……… 1961年(昭和36年)11月15日
・国鉄常磐線三河島駅三重衝突事故 ……… 1962年(昭和37年)5月3日
・消防法が改正され救急業務が法制化 ……… 1963年(昭和38年)4月15日
・中央防災会議、防災基本計画を初めて策定 ……… 1963年(昭和38年)6月14日
・東海道本線鶴見、貨物列車脱線多重衝突事故-実車、実線を使用した脱線実験行う
……… 1963年(昭和38年)11月9日
・横浜市消防局、消防特別救助隊「横浜レンジャー」を発足 ……… 1964年(昭和39年)8月20日
・政府、献血推進を閣議決定、アメリカ大使肝炎感染事件と無能な血液政策を批判する世論に押され
……… 1964年(昭和39年)8月21日
・全日空機、東京羽田沖墜落事故。当時、世界最悪の民間機事故“原因不明”の結論に
……… 1966年(昭和41年)2月4日
・イギリスBOAC機、富士山麓墜落事故 ……… 1966年(昭和41年)3月5日
・国鉄(JR)、自動列車停止装置(ATS)を全線で使用開始 ……… 1966年(昭和41年)4月20日
・戦後国産初旅客機YS-11松山沖墜落事故、滑走路の短さが問題に
-遺体捜索中のヘリ2機が空中衝突事故起こす ……… 1966年(昭和41年)11月13日
・東京消防庁、全国に先駆けて消防ヘリコプター1号機運用開始し航空消防始まる
……… 1967年(昭和42年)4月1日
・第1回緑十字展始まる、白地に緑十字が安全のシンボルになったいきさつ
……… 1968年(昭和43年)9月30日~10月7日
・ぼりばあ丸遭難事件「新鋭大型貨物船謎の沈没事件」 ……… 1969年(昭和44年)1月5日
・国鉄湯前(ゆのまえ)線多良木駅構内貨車・列車衝突事故、ヒューマンエラーによる
……… 1970年(昭和45年)11月15日
・全日空機、雫石上空で自衛隊機と衝突-空路での訓練禁止へ ……… 1971年(昭和46年)7月30日
・総武本線船橋駅ラッシュ時構内追突、鉄道事故最多の負傷者、信号機消灯時の規定曖昧のまま
……… 1972年(昭和47年)3月28日
・日航機、ニューデリー空港で着陸時衝突炎上事故-低高度警報装置装着へ
……… 1972年(昭和47年)6月14日
・海上交通安全法公布、規制により船舶交通安全を確保 ……… 1972年(昭和47年)7月3日
・第1回全国消防救助技術大会開催 ……… 1972年(昭和47年)9月28日
・朝日新聞、幼児大腿四頭筋短縮症患者について報道-高橋講師らの活動で社会問題化し解決へ
……… 1973年(昭和48年)10月5日
・トルコ航空DC10機墜落事故、日本人犠牲者過去最多、ダグラス社欠陥機を承知で販売
……… 1974年(昭和49年)3月3日
・パンアメリカン航空機、バリ島メセヘ山墜落事故、日本人29人が犠牲
……… 1974年(昭和49年)4月22日
・航空機テロで、沖縄タイムス社視察団13人死亡 ……… 1974年(昭和49年)9月8日
・タンカー祥和丸座礁し海洋汚染起こす ……… 1975年(昭和50年)1月6日
・東京湾海上交通センター発足、海上航行の安全を総合システムで担う第1号
……… 1977(昭和52年)2月25日
・大型ダンプ左折事故-大型自動車の死角問題裁判で争われ「道路運送車両の保安基準」改正される
……… 1978年(昭和53年)9月27日
・東電福島第一原発、わが国初の臨界事故起こし運転日誌も改ざん
……… 1978年(昭和53年)11月2日
・ニュージーランド航空DC10旅客機、南極で山腹に衝突、邦人24人死亡
……… 1979年(昭和54年)11月28日
・新宿駅西口バス放火殺人事件-跡を絶たない無差別殺人事件、動機なき殺人も
……… 1980年(昭和55年)8月19日
・六都県市合同防災訓練始まる。以降、順次拡大し2010年から九都県市に
……… 1980年(昭和55年)9月1日
・遠東航空103便墜落事故 ……… 1981年(昭和56年)8月22日
・ガンプラブーム、エスカレーター将棋倒し事故起こす。生産調整が原因か
……… 1982年(昭和57年)1月24日
・日航機逆噴射事件。機長の異常な操縦操作は病気による幻聴などの影響か、
日本航空(株)の乗務員健康管理と安全管理責任が問われる ……… 1982年(昭和57年)2月9日
・沖縄で米軍機夜間飛行差し止め訴訟起きる、嘉手納基地の軍事的重要性が原因
……… 1982年(昭和57年)2月26日
・防災週間が閣議了解され、防災の日を含む1週間開催される ……… 1982年(昭和57年)5月11日
・救急の日、救急医療週間始まる。救急活動の実績と体制整備を背景に
……… 1982年(昭和57年)9月9日
・濃霧のためマドリード・バラハス空港で旅客機同士の衝突事故、日本人観光客34人死亡
……… 1983年(昭和58年)12月7日
・犀川スキーバス転落事故、運転手の過労運転問題に ……… 1985年(昭和60年)1月28日
・日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故 ……… 1985年(昭和60年)8月12日
・国際消防救助隊、合同訓練行い実質的に発足 ……… 1986年(昭和61年)4月11日
・消防法改正され、全国常備消防機関に人命救助専門の救助隊及び特別救助隊設置を法制
……… 1986年(昭和61年)4月15日
・国際緊急援助隊(JDR)法制定-後に自衛隊参加で自己完結型組織の派遣も可能に、
感染症対策チームも新設 ……… 1987年(昭和62年)9月16日
・自治省消防庁、119番の日を制定-秋季全国火災予防運動起点の日となる
……… 1987年(昭和62年)11月9日
・中電浜岡原発1号機、再循環ポンプ停止し、原子炉が一時制御不能に、その後も続く事故の数々
……… 1988年(昭和63年)2月1日
・中国の列車衝突で修学旅行生死傷事件 ……… 1988年(昭和63年)3月24日
・自動車運搬船麗神5458台を積載し座礁-環境汚染との国際的批判かわすべく
海深2000mの海溝付近まで曳航され積載車とともに自沈 ……… 1988年(昭和63年)4月14日
・海上自衛隊潜水艦なだしお、遊漁船第一富士丸と衝突沈没させる「なだしお事件」
……… 1988年(昭和63年)7月23日
・JR中央線東中野駅列車追突事故、直接の原因は信号無視、しかし背景は業務停止処分逃れか
-新型ATS設置を前倒し ……… 1988年(昭和63年)12月5日
・東京電力福島第2原子力発電所3号炉、再循環ポンプ大破損事故、運転を強行再開し避難浴びる
……… 1989年(平成元年)1月1日
・救急救命士法公布-救急業務の発展へ ……… 1991年(平成3年)4月23日
・信楽(しがらき)高原鉄道衝突事故 ……… 1991年(平成3年)5月14日
・外洋ヨットレース遭難事件 ……… 1991年(平成3年)12月27日~30日
・道央自動車道史上最大多重衝突事故、ドクターヘリ高速道路上初の着陸、救急救命の新時代へ
……… 1992年(平成4年)3月17日
・女子労働基準規則が改正され、警察職員に次いで女性消防職員の深夜業務認められる
……… 1994年(平成6年)3月11日
・中華航空機、名古屋空港着陸に失敗、激突炎上事故 ……… 1994年(平成6年)4月26日
・松本サリン事件、えん罪・報道被害事件-地下鉄サリン事件後明らかに
……… 1994年(平成6年)6月27日
・東京消防庁、特殊救急車「スーパーアンビュランス」1号車導入配置
……… 1994年(平成6年)10月31日
・地下鉄サリン事件、オウム真理教による大量無差別殺人テロ、
ポア、マインドコントロールが流行語に ……… 1995年(平成7年)3月20日
・警察庁、各都道府県警察に広域緊急援助隊創設-警察災害派遣隊へ拡充
……… 1995年(平成7年)6月1日
・自治省消防庁、緊急消防援助隊創設-8年後法制化なる ……… 1995年(平成7年)6月30日
・国の防災基本計画を全面改定、阪神・淡路大震災の教訓活かし ……… 1995年(平成7年)7月18日
・高速増殖原型炉もんじゅナトリウム漏えい事故-20年経っても再開のめど経たず、廃炉か?
……… 1995年(平成7年)12月8日
・北海道豊浜トンネル岩盤崩落事故、自然崩壊との結論 ……… 1996年(平成8年)2月10日
・東京消防庁ハイパーレスキュー誕生 ……… 1996年(平成8年)12月17日
・防災基本計画、初めて事故災害対策各編を追加 ……… 1997年(平成9年)6月3日
・エジプト・ルクソール観光客襲撃事件-襲撃犯所属組織の自己批判へ
……… 1997年(平成9年)11月17日
・東京消防庁、わが国初の高度救急処置対応ヘリコプター運用開始-次いでドクターヘリの時代へ
……… 1998年(平成10年)10月30日
・北陸電力志賀原子力発電所、臨海事故隠し事件。安全性神話の崩壊をおそれ逆に不信感増大
……… 1999年(平成11年)6月18日
・玄倉川(くろくらがわ)キャンプ水難事故。一連の状況がテレビに放映された
……… 1999年(平成11年)8月14日
・東海村JCO臨界事故。会社の安全教育不備、
作業マニュアルの安易な変更がレベル4の大事故起こす
-しかし東海村消防本部の適切な情報収集による正確な判断が被災拡大防ぐ
……… 1999年(平成11年)9月30日
・道路交通法改正され、自動車運転中の携帯電話使用禁止、スマホも同罪
……… 1999年(平成11年)11月1日
・東名高速飲酒運転事件起きる。署名運動など世論の高まりを受け危険運転致死傷罪成立へ
……… 1999年(平成11年)11月28日
・海上保安庁、海の「もしも」は118番運用開始-99%が間違い電話だが、重要な番号に成長
……… 2000年(平成12年)5月1日
・日航機駿河湾上空ニアミス事故事件。100名が重軽傷、業界用語“ニアミス”が流行語に
……… 2001年(平成13年)1月31日
・えひめ丸事件。突然浮上してきたアメリカ原子力潜水艦に衝突され沈没、
原潜艦長、同乗見学者に急激潜水・浮上性能を誇示、衝突後も事故を隠蔽するが減給処分で幕引き
……… 2001年(平成13年)2月10日
・総務省消防庁、緊急支援情報システム運用開始 ……… 2001年(平成13年)7月1日
・明石歩道橋群集なだれ事故 ……… 2001年(平成13年)7月21日
・浜岡原子力発電所、連続2件の放射能漏出事故 ……… 2001年(平成13年)11月7日、9日
・小泉自民党政権、アメリカのイラク侵攻を支持し、武力攻撃事態対処関連3法成立
……… 2003年(平成15年)6月6日
・関西電力美浜原子力発電所3号機、復水配管の蒸気漏れで過去最悪の5人死亡
……… 2004年(平成16年)8月9日
・JR西日本福知山線、列車脱線激突事故、救助活動に近隣住民など活躍-事故調、
JR西日本に基本的改善求める ……… 2005年(平成17年)4月25日
・国土交通省、道路緊急ダイヤル#9910運用開始 ……… 2005年(平成17年)12月1日
・自動車運搬船クーガー・エース、バラスト水入替時横転事故、積載車は無事だったが全数廃棄に
……… 2006年(平成18年)7月23日
・平成6年首都圏大規模停電、約140万世帯に影響 ……… 2006年(平成18年)8月14日
・海上自衛隊護衛艦(イージス艦)あたご、漁船清徳丸衝突事件、
海難審判で艦内における報告・連絡体制の不十分さを指摘 ……… 2008年(平成20年)2月19日
・関越自動車道で高速ツアーバス居眠り運転事故。
競争激化によるバス運転手の過労運転が原因 ……… 2012年(平成24年)4月29日
▼読者の皆様へ
ここに掲載した大災害以外に、永く銘記すべき災害について掲載の提案がございましたら、下記へご一報ください。
防災情報新聞社 担当者: 編集委員・山田 征男 Eメール:yama@88.catv-yokohama.ne.jp/FAX:045-391-7246
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(2024年4月・更新)