流言による“異質排斥”悲劇 大規模災害時流言が招いた
殺傷事件、現代の防災活動においても念頭に置こう
【 関東大震災から99年―2023年100年の節目を前に、もうひとつの視点 】
1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災から、この9月1日は99年だった。来年2023年9月1日には100年を迎え、多くの周年記念イベントや教訓をめぐる論考がメディアをにぎわすと思われるが、本紙はそれに先立ち、99年の年に特別の意味を加えて、もうひとつの視点から関東大震災を取り上げたい。
2008年3月に公表された中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会報告書『1923 関東大震災』は、近代から現代に至るわが国の災害教訓としてもっとも重要な報告書のひとつだと言えるだろう。本紙はこれまで何度か関東大震災を取り上げてきたが、なかでも報告書が特記事項のひとつに挙げた「流言による被害の拡大」という側面は、現代日本にとっても同時代の教訓として永続的に記憶・記録・内容を更新し続けなければならない“トゲ”になり得る。
関東大震災は「関東大地震」の通称で、相模湾を震源とする地震(M7.9から8.3までの推定)が関東地方を中心に激しい揺れをもたらし、建物の倒潰や流出、崖崩れ、東京市や横浜市など都市部の延焼により、10万5千人に及ぶ死者・行方不明者、200万人を超える住居焼失者を生み出した巨大災害である。
報告書は「1923 関東大震災【第2編】」での冒頭、「地震によって発生した火災が被害を拡大し、広い範囲での交通機関、上水道、電力、通信、橋梁など社会資本の機能喪失が人びとの生活を脅かし、流言による殺傷事件も生じるなど、いまなお関東大震災以外に参照すべき事例がない事象も多く、災害教訓として重要」としている。
災害教訓の継承に関する専門調査会報告書:1923 関東大震災【第2編】
本紙は2021年10月01日付けで「関東大震災映像デジタルアーカイブ」が同年9月1日から公開され、100年の節目の2023年9月1日までに、2年をかけて、国立映画アーカイブで所蔵する関東大震災関連のすべての映画を公開していく予定であることを報じた。
WEB防災情報新聞:「関東大震災映像デジタルアーカイブ」公開開始
「関東大震災映像デジタルアーカイブ」は関東大震災を、「戦前日本において、社会のさまざまな領域に多大な変容をもたらすきっかけを与えた」と総括している。
【 関東大震災以外に参照すべき事例がない――デマが生んだ悲劇 】
下に掲げた2葉の写真は、「関東大震災映像デジタルアーカイブ」公式HP内の「コラム:沼田 清氏(写真編集者)」から転載したものだ。
コラムによると、沼田氏は2012年秋、東京都慰霊協会が、翌年の関東大震災90周年に向けて付属の復興記念館の展示をリニューアルすることを決め、写真の監修を任されたという。その作業のなかで、「背景を火煙に描き替え、説明を38,000人が死亡した本所の被服廠跡と偽った捏造絵葉書があることに気づいた。これを契機に調べたら、震災写真には、混乱時に起きた不注意による写真の裏焼や取り違えだけでなく、意図的な改ざんと捏造が少なくないことが判明」した。沼田氏はその事実を2018年の歴史地震研究会で口頭発表し、論文として会誌に投稿、災害史研究者に注意喚起したという。
東京都慰霊協会と言えば、同協会が実行委員会を務めて催行する関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典(墨田区・横網町公園)が、1974年以降、9月1日に行われていて、これに歴代東京都知事が追悼文を送っていた。しかし、小池百合子知事が就任して2年目の2017年から追悼文を送らないとの決定をし、今回(2022年)も式典に追悼文を送らないとの報道があった。その理由は明言されず、「虐殺の犠牲者に対する特別な追悼をやめる」としている。
報道によれば、小池知事は17年の記者会見で、虐殺の有無への認識を問われ、「様々な見方があると捉えている」と回答。「歴史家がひもとくものだ」とも述べた。しかし虐殺については、国の中央防災会議がまとめた報告書で明らかに説明されているのだ。
“忖度”はいまやフェイクニュースと並んで現代的な捏造・改ざんなど事実隠蔽の裏づけともなっているが、専門調査会報告書は「(関東大震災での)余震は恐怖心をあおり、流言飛語を生み出す原因になる」と分析し、さらに、「報告書の目的は歴史的事実の究明ではなく、防災上の教訓の継承」であるとし、「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」としている。
「朝鮮人などの虐殺」について、本紙はその原因となった流言飛語を、2017年05月07日付けで取り上げている。
防災情報新聞(旧サイト):災害教訓~流言飛語 いまだから「危険な情報飛来物」に備える
【 “忖度”か否か――「朝鮮人虐殺」をめぐる不可解な対立 】
前段の本紙の記事中、本紙は小池知事が「朝鮮人虐殺」追悼文をとりやめた2017年に、内閣府と朝日新聞間で次のような不可解な“やりとり”があったことに触れた。朝日新聞2017年4月19日付け朝刊は「『朝鮮人虐殺』含む災害教訓報告書、内閣府HPから削除」との記事を掲載した。「災害教訓報告書」とは、中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」が2010年12月にとりまとめた「25の災害教訓報告書」(専門調査会報告書の簡易版)のことである。朝日新聞記事は、同報告書のなかでとくに「一部に関東大震災時の『朝鮮人虐殺』についての記述が含まれており、担当者は『内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした』と説明している」とした。
ところが内閣府はこの記事にただちに反論、記事中の担当者の発言として報じられたコメントも否定。朝日新聞も同記者会見を4月20日付けで報じ、内閣府は「HPの刷新作業中で、報告書が見られなくなったのは『技術的な問題』と説明」したとするいっぽう、改めて「18日に内閣府の複数の担当者に電話で取材。担当者は朝鮮人虐殺の記述に苦情があることを認め、HPの刷新に合わせて見られなくしようということになったと説明。すべての報告書のデータを順次消す作業をしている、と述べた」と、初報の記事内容を再掲した。
内閣府HPの中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」のページは4月24日には“復活”、全資料が閲覧できることから内閣府の説明どおりとなったが、“災害教訓の削除”、それも関東大震災での流言が引き起こした『朝鮮人虐殺』の教訓をめぐる内閣府と朝日新聞の真っ向からの真偽をめぐる対立は、ネット上でもなにものかへの忖度かとの論争を巻き起こした(当時の朝日新聞記事はすでに削除されている)。
【 虐殺に加担? 当時の自警団から学ぶべき教訓とは 】
報告書は関東大震災における流言を起因とする殺傷事件の発生について「震災による死者数の1~数パーセントにあたり」としている。同震災では10万余の死者が確定されているが、1%でも1千人にのぼる。犠牲者数のまとめとしては、各種調査によって2613余名、2607余名、3459余名、推定5000名、6661名(ないし6644名)などのばらつきをそのまま紹介している。時代環境はあるとしても、戦時下ではない日本国内で、災害で誘発された殺傷行為で数千人の外国人(主に朝鮮人、中国人ほか、そして彼らに間違えられた日本人も)が犠牲となる“虐殺”が行われた。しかも当時の官憲以上に積極的に直接手を下したのは、自警団など市井の市民であった。
報告書に、「朝鮮人をめぐる流言の中で、2日夜から被災地の焼け残り地域や周辺部にほぼくまなく町内、部落ごとの自警団が組織され、通行人を尋問し、朝鮮人や怪しいと考えた者に暴行を加えた。自警団の原型が震災以前から警察の奨励によってできていた地域もあったが、多くは震災直後に自然発生的に形成された」とある。
当時の自警団のような組織は、その後の大規模災害などでは形成されていないが、大災害後の流言を機に自然発生的に形成され得るのであれば、現代の町内会や自主防災組織はその教訓を知っておくべきだろう。
現代日本に仕事を求めて来日する在留外国人が増えるなか、日本社会が彼らをどのように受け入れるかが問われる。近年の日本と韓国、中国との関係悪化により、一部の国民の感情が悪くなっている傾向もある。
いっぽう、「多文化共生社会」の形成に向けた自治体・NPOの活動も盛んになるつつある。国は「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策」を打ち出しているが、「技能実習生」の問題が指摘され、難民受入れに否定的などの課題もある。
本稿の結論としては、防災こそ多文化共生社会に向けて、先駆的に在留外国人を内に取り込み得るということになる。関東大震災での流言による悲劇を逆転させる「共生に向けた防災」――自主防災、防災士にぜひとも取り組んでほしい教訓と課題だ。
〈2022. 09. 07. by Bosai Plus〉