サステイナブル資本主義と「防災-社会的共通資本」の強化と
「人の安全・幸福に投資する資本主義」への転換の時代
――事前防災の体系化(防災省創設)へ向かうか…
【「 災害資本主義」を超えて 人の安全に向けた“防災社会革命”を 】
災害対策として、地震に関しては、歴史的に繰り返される南海トラフ地震や千島海溝・日本海溝地震などの主な海溝型地震について、国による(最悪の)被害想定が公表されている。内陸活断大地震はいつ起こるかわからないものの、大都市直下で起こる場合の影響の大きさから、首都直下地震や中部圏・近畿圏直下地震などについては発生確率や被害想定が公表されている。また原発立地周辺では直下の断層の有無など、現時点での最先端技術をもって精緻に調査されている。
いっぽう、富士山火山など噴火災害については予測・予知はむずかしいとされ、観測体制の強化が課題だ。台風・大雨などの気象災害は、予報技術の進歩で近い将来の事象はある程度予測できることから、「公助・共助・自助」各レベルにおいて、気象災害への備えはある程度可能となる。
しかしいっぽう、例えば浸水地域の推定ができるとはいえ、その地域に”住まざるを得ない(安全な場所に移転できない)”、あるいは数メートルの波高の津波が数分で押し寄せると想定される地域に住む人は、大雨あるいは大津波によって命が奪われる可能性を、わがこととして想定して個別の対策を講じなければならないのも現実である。
また大都市圏の木造住宅密集地区に住む人、そして耐震強度の実態・データが不明、あるいは見逃されているまちなかの中小ビルで働く勤労者、さらには2000年以前の超高層ビル、とくに高層ビル化が一般化した1980年代から90年代の現行の地震動基準を満たしていない”超高層ビル”(超高層ビルの呼び名について基準はないが、わが国では高さ31mを超える建築物を高層建築、100mを超えると超高層建築(25~30階以上)と呼んでいる)の耐震性への疑念が依然として多く存在するなど、とくに都市部を中心に、大地震での災害脆弱性が想定外を生む要因として指摘されている。
”災害大国・日本”でありながら、起こり得る被害を想定しながらも、必ずしも事前の備えが十分ではない――すなわち、「思いがけず起こる」のが災害とは言えない現状であることを忘れてはならない。”災害大国・日本”の災害対策・事前防災が必ずしも十分ではない背景に、行政の縦割りがあることもよく指摘される課題だ。「復興省(庁)」創設の議論はそうした縦割りの災害対策をより体系化・効率化するための議論ではあるが、政治システムの改編にかかわる大事業でもあり、議論はなかなかまとまらない。
しかし、90年ほども前に寺田寅彦が「災害対策は国防に値する」(『天災と国防』1934年)と喝破したように、国民の命の保全にかかわる重要案件である。わが国で災害対策・防災において、国民の保全を図る「理念」とその実現への道程はいかにあるべきか、改めて国民的議論を促したい。
●「災害資本主義」を超えて、「社会的共通資本」の見直しを
近年、注目すべき論議が世界的規模で、かつ幅広い分野で地殻変動的に起こってきた。それは、「資本主義、民主主義、個人主義、自由主義の限界」をめぐる議論だ。災害は資本主義の内から必然的に生じてくるという「災害資本主義」も唱えられている。資本主義システムには、過剰生産恐慌、労働者の生活悪化、公害と自然破壊、国家や金融機関の債務危機などの矛盾と危機が底深く含まれていて、自ら固有の「資本主義災害 Capitalist Disaster」を生むという(カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの説)。
わが国の歴代政権は「経済成長」を旗印に政権運営を行ってきたが、近年、少子高齢化を背景にデフレ経済から抜けられず、今日に至ってわが国の経済力は先進G7で最下位に落ち込んでいる。折しも直近の政権(岸田文雄首相)は「新しい資本主義」を基本理念として掲げ、「新しい資本主義実現会議」を立ち上げた。そこで注目されるのは、わが国の資本主義の“本丸”とも言える経済団体連合会(経団連)の十倉(とくら)雅和・経団連会長から提出された資料に、「成長と分配の好循環」とともに、「社会的共通資本(GX・DXの推進、危機管理対応等)の構築」があげられていることだ(GX=グリーン・トランスフォーメーション、DX=デジタル・トランスフォーメーション)。
「社会的共通資本」とは、ノーベル経済学賞にもっとも近い日本人経済学者とされた故・宇沢弘文(1928-2014)が提唱した概念である。宇沢は、利潤追求優先の市場主義の資本主義が引き起こす社会矛盾に着目し、人間を重視する新たな経済学理論の確立をめざし、“発言・行動する経済学者”として評価された。宇沢は「社会的共通資本」の例として、自然環境、社会インフラ、制度資本(教育、医療等)などをあげ、「社会的共通資本」は国家権力や市場論理に委ねるのではなく、“専門家たち”の手にまかせて運用すべきと主張した。
論理的必然としてこのなかには、当然、「防災」も含まれてくるだろう。この概念が経団連会長によって「新しい資本主義」検討会議に提案されたことは、これまでの資本主義(市場原理主義)からの経団連の発展的な決別の表明とも受けとめられ、成熟社会を迎えたわが国の新たな理念となり得るか注目されるところだ。
いっぽう、全人類にかかわる世界的な環境問題では、人類の影響でつくられた地質の時代を「人新世」と呼ぶ『人新世の「資本論」』(斎藤幸平・著)がベストセラーになっている。斎藤幸平氏は、経済成長は諦めて「資本主義的な利益最大化の価値観」から「万人の繁栄と持続可能性への価値観」への転換を訴える。こうした動きは果たして、資本主義を前提とした“危機管理・防災”においても、本質的な変革をもたらし得るものだろうか。
防災分野での社会的共通資本の実現では、むしろ「防災社会-主義」、あるいは「社会-防災主義」と呼ぶべきものへとパラダイムシフト(枠組み変換)を図るべきではないか。少なくとも、「防災省(庁)創設」の課題もその周辺に位置づけられそうではある。
会報・月刊経団連の2022年1月号は「資本主義・民主主義の行方」と題して、十倉(とくら)雅和・経団連会長と中島隆博・東京大学教授の対談を掲載した。そこで十倉会長は、「サステイナブルな資本主義(持続可能な資本主義)」を提唱し、「宇沢氏の言葉 “from the Social Point of View(社会性の視座)”を持ったうえで諸課題に対処しなくてはいけない、経団連もそうあるべき」と語っている。
月刊経団連:資本主義・民主主義の行方 ―経済界と哲学界の対話―
〈2022. 05. 20. by Bosai Plus〉